X



【邪馬台国九州説】は「99・9%」福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎 
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001しじみ ★
垢版 |
2019/01/01(火) 00:05:54.36ID:CAP_USER
■『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』、日本神話、考古学資料などを、総合的に統計学的手法で分析すれば、99.9%の確率で、邪馬台国は福岡県にあったことが言える。

■和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」

白鳥庫吉(1865〜1942年)は、明治期の東京帝国大学(現在の東京大学)を代表する東洋史学者であった。白鳥は1910年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」のなかで、『魏志倭人伝』の「卑弥呼(ひみこ)」に関する記事内容と、『古事記』『日本書紀』の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に関する記事内容とを比較している。そして、この二つの記事内容について「その状態の酷似すること、何人もこれを否認するあたわざるべし」と述べている。

 白鳥庫吉の見解を受け継ぎ、それを「邪馬台国東遷説」という形で大きく発展させたのは、東京大学の哲学者・和辻哲郎(1889〜1960年)であった。和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」は『日本古代文化』(岩波書店、1920年刊)のなかに見える。「邪馬台国東遷説」というのは、邪馬台国は九州に存在し、のちにその勢力を受け継ぐものが東遷して「大和朝廷(やまとちょうてい)」になったとする説である。
和辻哲郎氏(1889−1960年)
 和辻哲郎や、その説を受け継ぐ人たちの「邪馬台国東遷説」の要点をまとめれば、次のようになる。

(1) 卑弥呼のことが神話化し、伝承化したものが天照大御神である。
(2) 九州にあった邪馬台国が、本州の大和に移動した。神武天皇の東征伝承は、その間の事情を伝えるものとみられる。
 和辻哲郎は述べる。『古事記』『日本書紀』の伝える「神武東征」の物語の「国家を統一する力が九州から来た」という中核は、否定しがたい伝説に基づくものであろう、と。
(3) 九州から大和へ移動した時期は、3世紀の後半から、西暦300年前後にかけてのころであろう。

■年代論的根拠

和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」にはその後、年代的根拠がさらに詳しく与えられるようになってきている。

(中略)

■天照大御神のいた場所

「卑弥呼=天照大御神」とすれば、天照大御神のいた場所が、邪馬台国であることになる。邪馬台国についての手掛かりを『古事記』『日本書紀』のなかに、たどることができることになる。

 『古事記』『日本書紀』は天照大御神のいた場所を「高天の原(たかまのはら)」と記す。「高天の原」は、どこだろう。 

 いま『古事記』の上巻、いわゆる神話の巻を取り上げる。『古事記』上巻には「筑紫(つくし)」「日向(ひむか)」「胸形(むなかた)」など、現実的に場所の特定できる地名が現れる。その地名の統計をとる。

 その結果を図示すれば、図3のようになる。圧倒的に多いのが、「九州地方」と「山陰地方」の地名である。『古事記』の主要なテーマは「九州地方」の勢力と、大国主(おおくにぬし)の命(みよ)が治める出雲を中心とする「山陰地方」の勢力との対立図式といえる。いわゆる「出雲の国譲(くにゆず)り」伝承が中心的なテーマといえる。「高天の原」と重なり合うのは、この「九州地方」、特に北九州地方である。
http://tawayama.net/wp-content/uploads/7f0beb52698951740bca688fe0647a4c.jpg

■「平塚川添遺跡」の出現

『古事記』『日本書紀』によれば、高天の原には「天の安の河(あめのやすのかわ)」という河が流れていた。天照大御神と、その弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)とがこの河を中において談判をしたり、神々が「天の安の河」の河原で、会議を開いたりしている。

 九州の地図をみれば、現在でも北九州のほぼ中央に「夜須」という地名がある。この北九州の「夜須」の地名は、『日本書紀』や『万葉集』では「安」の字が当てられている。

 筑後川の支流の小石原川は、「夜須川」とも呼ばれる。そして1992年に朝倉市(当時は甘木市といった)を流れる夜須川のすぐ近くから、弥生時代後期の大環濠集落跡として「平塚川添遺跡」が出現した。考古学者の佐原真氏は当時この平塚川添遺跡を「学術的には吉野ケ里に匹敵する遺跡」(朝日新聞)と述べている。


https://ironna.jp/article/4548?p=1
続く)
0441ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 15:30:45.55ID:psUcBE4T
>>411が批判されると答えられなくてストレスだから触ってくれるなと泣き言を言っていますww
誰にも批判されず、俺が王様状態で好き勝手書けないと嫌なんだってさw
0442ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 15:37:56.69ID:psUcBE4T
>>394やベイズ統計に触れずにビッグデータだからとか言ってる人は
ただの難癖野郎だから無視していいよ

安本美典、99.9%、ベイズ統計で検索すれば、元ネタも調べられるだろww
0443ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 15:42:27.26ID:JF02T2Fr
.
神功皇后の実子・応神天皇は先帝死後3年の出生(女系天皇)。

また、物部神社には神武天皇が養子であられた記録あり。」
0444ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 15:46:03.88ID:psUcBE4T
>>430
>豪快に歴史改ざんするなら最初から近畿大和に天皇一族が生まれてずっと支配と
>いうことにすればいいところを、東征の部分はもう当時でも一般レベルで広く
>実際の話で定着していて改ざんできなかったと見るのが自然

これが九州説のチェリーピッキングの典型
都合の悪いところは改竄された、都合のよいところは改竄できなかったww
本当にご都合のよいことですわねww

私の考えは畿内説の主流ではないけれど、神武の九州からの移入は卑弥呼の共立よりも
数世代(5世代程度)昔と見る
卑弥呼が共立されるときに、九州の血筋に繋がるものとして九州から来た神武の
家系であることが重要だったから、それが卑弥呼のヤマト王権の始祖伝承に
取り入れられたという考え方

まあ、主流の畿内説では、神武の東征は神話扱いだけどね
0445ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 15:52:50.64ID:psUcBE4T
>>443
>神功皇后の実子・応神天皇は先帝死後3年の出生(女系天皇)。

いわゆる春秋年を認めれば、特に問題ない
ヒトの妊娠期間は285日だから、春秋年の半年一年(183日)よりも長い
仲哀9年の仲哀死亡前に妊娠して、仲哀10年(183日)を超えて
仲哀11年に出生で通常の妊娠期間になる

春秋年でOK
0446ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 16:21:33.42ID:163XGj6e
春秋年って2倍年暦?
古代の日本には特殊な暦があったってことか
国家ができる前に、しかも文字もないのに誰が暦を管理してた?
0448ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 16:55:00.21ID:mLzwbWP3
>>440
広開土王が倭人に勝ったから、いまレーダー照射で大騒ぎしてる軍艦名に選ばれた。
なのに倭人が半島に進出した事実は認めないw

この矛盾に気付かないのが朝鮮人


そら邪馬台国=ヤマト政権だったら困るわな
何とかして日本の歴史の連続性を分断したがるわ
0449ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 17:32:52.51ID:66OX08Bq
>>448

意味不明なコメント あなたの頭は床屋のために存在しているようです
0450ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 17:35:47.77ID:66OX08Bq
>>448

あなたは大きく勘違いしている  継体以降現天皇家が朝鮮人です

倭国を造ったのはニンポー台湾琉球あたりの南方民族で朝鮮人ではありません
0451ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 17:40:26.04ID:66OX08Bq
>>448

コウカイは倭国に勝利はしていません

倭国の北上の勢いをなんとか押し返そうとしていただけです

碑を読めば解ることです  当時の倭国は武王です

匈奴の一種フヨ族が半島へ南下し高句麗をつくり其の分流が新羅 百済をつくりました
0452ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 17:41:25.25ID:66OX08Bq
>>448

本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており 漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める この時の日本には大阪には銅鐸文明が栄える 銅から鉄へ移行する時 九州北部に鉄を持った天孫降臨族が発生し博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)と称する
勿論大陸との外交は重要で周や漢や魏と交流する その間の出来事は ニニギのヨシタケタガギ(場所は福岡市西区) 金印(カンノイトコクオウ)同じくヤマイチ国のシンギワオウ(ヒミカ)場所は福岡県春日市スクオカモト(絹の出土)
倭の五王(都督府を大宰府へ) 岩井天皇の律令制度  サチヤマ白村江の戦いでの敗戦および唐軍の大宰府進駐などがあり700年まで続いた
1年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがいまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け神武の兄は死ぬ その後熊野をとおり奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する
250年頃スジンはミマナより奈良へ侵略しジンムの末裔を殺戮する
欠史8代とは朝鮮人スジンが史実を知らなかったことが理由
北陸へ半島より渡来した継体は応神五代の末という触れ込みで奈良政権を奪う 内紛に感けて継体の侵略を許した
奈良政権を奪った簒奪者継体は次に倭国簒奪を狙う モノノベノアラカイへ九州を与え本州は自分がとるとの密約は周知の事実
此の倭国侵略で継体の嘘が露になる 分流の奈良は称号に倭(チクシ)と名乗り倭国の末裔たる事を誇りにしていた しかし継体は半島渡来であり倭国とは何等の関係も無かった

半島の高句麗との戦いの援軍を装い岩井天皇を暗殺したが 九州の肥後の軍勢に追われ倭国奪取は出来なかった
倭国由来の血統の絶えた継体以降は敵地同然の奈良の居心地は悪く 半島由来の多く住む滋賀京都を目指した
700年以後同じく半島由来の藤原一族と共に日本列島の支配者となる
この時テンムが倭国の文書(日本旧記を始めとする)を集め日本書紀に内容を剽窃した
0454ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 18:09:29.99ID:NIk3d4Jc
>>441
> >>411が批判されると答えられなくてストレスだから触ってくれるなと泣き言を言っていますww
はあ?むしろ>>411は待ってるんだけどw畿内説などの根拠希薄のどこ説には一貫してまるで触れないというw
言うことは、実質どうでも良い442のような揚げ足取りだけw
答えられないから逃げてるだけの癖になあw
0455ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 18:10:37.43ID:XmQm+Z75
高句麗の広開土王は朝鮮人でも中国人でもなく高句麗人w
今で言えば日本人や満州人やエヴェンキが近いw
0456ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 18:16:24.01ID:66OX08Bq
フヨ族はエベンキですが
0458ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 18:27:58.40ID:XmQm+Z75
いや、エヴェンキが扶余の末裔w
百済系であるが故に現在の日本人(特に近畿人とか北九州人とか山口人)もなw
現在の朝鮮人は扶余直系の子孫ではないw
0459ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 18:48:07.62ID:jCKs4fuk
みんな大昔のことをよく知ってるなあ 感心する
0460ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 19:25:16.79ID:jCKs4fuk
邪馬台国より面白いことが書かれているけど、どこだろう?
人の背丈は三、四尺(72p〜96p)・・・そんな背の低い人たちがいるところはどこだろ?
女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、倭種である。また、侏儒国がその(女王国の)南にある。

女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
0461ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 19:29:09.04ID:jCKs4fuk
邪馬台国より面白いことが書かれているけど、どこだろう?
人の背丈は三、四尺(72p〜96p)・・・そんな背の低い人たちがいるところはどこだろ?
女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、倭種である。また、侏儒国がその(女王国の)南にある。 人の背丈は三、四尺(72p〜96p)で、女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)東南にある。船で一年行くと着く。

女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
0463ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 19:34:46.79ID:bvAMsjoz
2008年 12808万人 + 5万 △△△△△
2009年 12803万人 − 5万 ▼▼▼▼▼
2010年 12806万人 + 3万 △△△
2011年 12780万人 −26万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2012年 12752万人 −28万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2013年 12730万人 −22万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2014年 12709万人 −21万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1546600138/l50

福島県や宮城県で甲状腺ガンが白血病が激増、原因は不明 。安倍移民党が政権取って何年目だっけ?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1546677645/l50
0464ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 19:36:51.67ID:rwYE+0p3
>>131
続日本紀でも頻繁に韓鍛冶の語が見えるんで
当時の鍛冶技術としても、韓国のが進んでたんだろう
https://kotobank.jp/word/%E9%9F%93%E9%8D%9B%E5%86%B6-467254

文字も暦も鍛冶技術もろくになかった時代の日本が
朝鮮半島全体を何百年も支配してたんだから
まあ、すごい話だよね……本当なら

記紀にある通り、魔法の様に津波を操作してたのかも知れん
0465ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 19:42:36.22ID:fXq7se4H
せやで、島国と馬鹿にしながら
その島国のさらにド田舎の種子島が鉄砲の量産に成功したのに
自国で鉄砲が作れなかった民族がいてるらしいなw

その種子島や
0466ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 19:45:43.91ID:XmQm+Z75
侏儒国=インドネシアのフローレス島
常識じゃんw
0469ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 20:08:56.58ID:jCKs4fuk
>>461 邪馬台国女王国を探るに、逆から考えてみてはどうだろうか?
侏儒国がその(女王国の)南にある。 人の背丈は三、四尺(72p〜96p)で、女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)東南にある。船で一年行くと着く。
0470ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 20:12:15.13ID:jCKs4fuk
やはり九州のどこか
宮崎平野か
0471ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 20:14:02.21ID:fXq7se4H
>>467
確かに事実やで
韓鍛冶が伝来したとされる大化の改新より前の、
纏向遺跡に4世紀の鍛冶跡が発見されているのがwww

米もDNAで完全にバレたし、鉄もそろそろバレそうだなw
おう、頑張って捏造しろよw
0472ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 20:32:02.24ID:66OX08Bq
継体以降現天皇家がエベンキです
0473ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 20:40:03.94ID:rwYE+0p3
>>471
>韓鍛冶が伝来したとされる大化の改新

え?
古事記でも、応神天皇の時代に来たってあるよね?

https://kotobank.jp/word/%E9%8D%9B%E5%86%B6%E9%83%A8-45898
>大化前代,刀剣そのほかの鍛造に従事した品部 (ともべ) 。
>朝鮮の進歩した技術を身につけたものから成る
>韓 (から) 鍛冶部と,日本在来の技術による倭 (やまと) 鍛冶部があった。

>大化以後は宮内省鍛冶司 (つかさ) によって,その技術の一部が引継がれた。


>《古事記》応神段に百済より韓鍛の卓素が貢上されたとあり,
>百済系技術者を組織したもので,彼らは各地に居住し
>伴造(とものみやつこ)の韓鍛冶首(おびと)に率いられて
>宮廷工房に上番した。
0475ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:03:23.50ID:rwYE+0p3
そうなんだよねぇ、
ただ、その割には文字とか暦とか
ちゃんと教えてくれてる風が無いのが不思議

宗主国が事実上、文盲状態だったのに
よく属国で居てくれたなぁ……って
0477ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:12:53.51ID:66OX08Bq
倭国は大陸と交易しており 漢字は漢のときより使用している

半島は覚えきれず21世紀に諦めた  同時に 漢字で書かれた歴史をも捨てた
0478ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:13:01.87ID:XHayeXfJ
邪馬台国がどこにあったかなんて
全く興味は無い
ただ天照=卑弥呼なのかどうかは
はっきりさせて欲しい
天照がただの人間って事なら
日本の神様なんてもう怖がること無いしね
0479ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:14:37.57ID:66OX08Bq
現在日本人は魏史を読めるが 朝鮮人には読めない 魏史韓伝
0480ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:15:44.92ID:66OX08Bq
アマテルは紀元前

ヒミカは250年ごろ
0481ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:17:34.40ID:fXq7se4H
>>473
おしいwww
日本書紀によると纏向遺跡は第11代垂仁天皇が命じて造営された都だ。

第15代応神天皇とは明らかに以前なんよw
古代製鉄も各地で5世紀以前のものが発見されて、朝鮮由来説が崩れてるw

そもそも朝鮮側に製鉄関係の発見が殆んど無いんだわwww

それで楽浪郡→出雲→各地への中国から直接来た説に変わってきてる。
0482ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 21:35:58.74ID:AtUTZN7H
倭人伝のころは半島は未開
五胡十六国時代に中国から知識人が混乱を避けて半島や日本に逃げてきた
半島に技術が広がる可能性もあったけど、新羅になって半島から知識人が逃げた
で、また未開に戻った
0483ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/05(土) 22:25:38.47ID:PyyIDrte
鍛冶ならば、五斗長垣内遺跡で、それこそ卑弥呼前・2世紀後半には
始まっているのが分かっているじゃない。

たたら製鉄はまだでも、鍛冶(鉄製品の加工)は、
纏向が本格化する前には、既に確立していた。
それが畿内に流通していたのは、ほぼ確実。
0484ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 00:09:21.40ID:iW7Ql6cW
大和朝廷は百済の出先機関、
出雲はきっと朝鮮半島の別の国の出先機関、
そんなところだろう
0485ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 00:29:48.37ID:3k18p2BJ
>>483
淡路島の製鉄遺構は瀬戸内海を東進してきた九州勢力のもの

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

これで淡路や近江など至近距離に鉄工房があるにも関わらず、畿内の弥生末期〜古墳初頭の遺跡から鉄製品がごく僅かしか出土しない謎が解けた
当時は淡路島や近江を制していた勢力と畿内はまだ別勢力だったというわけだ
0486ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 00:37:37.96ID:XRmCmzPg
>>464
20世紀になって日本の植民地になるまで乞食同然で地べたに這いつくばるような
文明のかけらもない国が邪馬台国の時代に一体どんな優れた軍事力を持っていたのかとw
0487ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 00:42:18.45ID:wbsjfCYc
>>477
つ隋書

>>481
具体的には垂仁天皇ってのは何世紀ごろの話?

メタな事を言えば、継体天皇以前の歴史は
あまり信用できない訳だしね。
応神天皇から以前は史実性そものが、かなり怪しい。

記紀や続日本紀に韓鍛冶の記述がある以上は
朝鮮の技術者が来たと見るべきだろう。
むしろ、そこで資料を疑う理由は特にないんじゃないかと
0488ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:14:25.18ID:Ca6iJlhw
>>485
有り得え無い。とっくに論破されてる。

何度も繰り返された遷都で、当時価値があった鉄も一緒に移動した。
加えて畿内の酸性土壌が鉄の酸化を促した。よって副葬された鉄製品の発見が極端に少ない。


また纏向遺跡に環豪集落のような防御施設は存在しない。

これは後代の京都や奈良のように、城壁など必要としないほど、
ヤマト政権の影響力が極めて大きかったから。

畿内に軍を駐屯させるよりも、戦闘が想定される辺境(東北・関東・九州・半島)へ
鉄製武器の配備が進められたから

以上の3点が、畿内に鉄製品が出土しない理由となる。

そもそも漁具を持ち出して何が言いたい?奈良に海があると思っているのか?
頭悪すぎて引く
0491ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:25:12.14ID:Ca6iJlhw
>>487
自分の文章の矛盾に気付かないか?

記紀に記載された
応神天皇以前の天皇は史実性が無いと言いながら
韓鍛冶の記載は信じろという。

お前も頭悪すぎて引く
0492ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:26:37.37ID:0s6emMSY
魏志倭人伝には「其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香」とあり、「樟」つまりクスノキが生えているとある
現代では栽培により本州にも生えているクスノキだが、自生の北限地は福岡県北西部の立花山である
よって邪馬台国は九州で確定

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163881
> 天然紀念物調査報告(植物之部)第八輯 六六頁 参照
> 樟 Cinnamomum Camphora Nees. et Ebrm. ハ立花山麓ヨリ山腹ニ亘リ大ナル純林ヲ成シ巨樹多シ、樟原始林トシテ代表的ナルノミナラズ
> 同樹林ノ北限地帶トシテ最モ著シキモノナリ
> 立花山々麓から山腹に亘るクスノキの純林でその原始林として代表的であるばかりでなく、自生北限に属するものとして最も価値の高いものである。

https://kotobank.jp/word/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%B1%B1-93499
> ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
> 立花山 たちばなやま
> 福岡県北西部,新宮町,久山 (ひさやま) 町,福岡市東区の境にある山。標高 367m。山体は花崗岩と古生層から成る。
> 南東斜面の久山町にかけて広がるクスノキの原始林は自生北限地として知られ,特別天然記念物に指定されている。
0493ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:34:25.99ID:xqS9ZXYT
たたら製鉄が始まるまでは、どちらにせよ原料としての鉄を大陸か半島に頼っていただろうし、
その調達地としての北部九州と出雲が肝になるのは確かだよね。

そういう意味で、畿内では原材料としての鉄材が入手困難で、貴重品だっただろう。

鍛冶をするということは、単に加工するだけでなく、貴重な鉄材をリサイクルすることでもある。
鉄のリサイクルがより重視されたからこその、鉄器出土の限定じゃないかと思う。エコ国家邪馬台国。

あと、重要墳墓の調査が進んでいないからな。
稲部遺跡でも、鉄器はあまり出ていないよ。鉄器工房なのにw
でも、それは単に調査が進んでいないだけ。
0494ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:40:05.67ID:HrLO/Iwk
>>28
当然、西暦200年頃の国税調査だろうよw
0495ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:42:14.49ID:wbsjfCYc
>>491
そりゃ、時代が違うもん

ついでに言うと、製作者に都合のいい事は疑う必要が多くなるが
不都合なのに乗せてる場合は比較的、信用できる
(もちろん、あくまで比較的だが)
0498ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 01:57:06.05ID:xqS9ZXYT
>>490
唐古・鍵遺跡では、弥生時代〜古墳時代初期まで環濠が存在している。

戦の最前線に遷都するバカはおらんだろうから、纏向遷都があったならば、
その時点で既にヤマト王権の最前線はもっと東なんじゃないかね。尾張〜遠江説。
0499ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:04:03.41ID:RNLYE0nj
>>492
桃は書いてないんだよね
生えてなかったんだろうね
あれ?そう言えば桃を大量栽培していた証拠が見つかったーって大騒ぎしていた場所があったよねw

どこだったっけ?確かマキなんとかいう遺跡だったと思ったけど・・・忘れちゃった
まあ忘れるようなのはどうせ選外確実の泡沫候補だろうし思い出さなくていっかw
0501ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:10:36.33ID:xqS9ZXYT
>>492
紀元前の弥生時代「池上曽根遺跡(大阪府)」で、
樹齢700年のクスノキの遺物があるんですけど・・。
0505ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:30:59.54ID:nOBLBjuB
>>485
3世紀の近江は福岡志賀島を本拠地とする安曇氏の支配地域だったからな
淡路島も同様だろうな

https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
>
> しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> 安曇川の源流を見下ろすようにそびえて いる。
0506ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:31:01.56ID:Ca6iJlhw
>>490
南に狗奴国があるのは当たり前
ヤマト政権は首都奈良から、南九州以外の西日本全域と半島南部を含む。
弥生時代のクニとは比較にならない巨大な影響力があったから

何も矛盾はない。

纏向が見つかった時点で、完全にピースは嵌まった。
記紀と発掘の成果が見事に一致した3世紀の巨大都市が発見された以上、
学会が九州説に傾く事は二度と無い。


>>502
南の狗奴国と戦争していると主張しながら、遠い九州から河内まで遠征するのか?

そんな頭の悪い主張はお前ぐらいだ。
0509ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:44:12.69ID:+QS9E6jp
>>505
難波にも安曇江があるし、淀川沿いには阿満がある
淡路島だけではなく、近畿の海沿いはもうほとんど安曇氏の手に落ちていたんだな
0511ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:51:51.79ID:0M0SZJqF
>>509
だとすると、>>501の指摘どおり池上曽根遺跡も九州から来た海人の遺跡である可能性が高いな
九州にしか自生しないクスノキが出土したのも納得
0512ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 02:53:11.30ID:0M0SZJqF
安価ミス
>>502の指摘どおり〜
だったわ
0513ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:01:20.74ID:uJ7CzNzo
>>506
>南の狗奴国と戦争していると主張しながら、遠い九州から河内まで遠征するのか?
魏は呉や蜀と戦争しながら遥か遼東の公孫淵を討ったし、
蜀も強大な魏と争ってる最中に遠く南蛮征伐してますが?

それ以前に>>502は河内が九州に制圧されていたとは言っているがいつごろ服属させたのかまでは言ってないよな

頭悪すぎて引くw
0515ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:25:11.08ID:eFEczHpl
>>509
阿曇氏を主とする海人族はその国を侵略するのではなかったと思うんだよね

これは想像なんだけど、
農耕弥生民との職業的住み分けがあったことで交易を持ち掛けたのだと思う

その過程で鉄や装飾品や鏡などの分配を担い、大陸由来の文化や祭祀形態を九州経由で持ち込むことで徐々に支配を固めた
あとは守備的軍事力や武器も関係あると思う

畿内に限らず各地でこのような活動を行った結果、富の蓄積が顕著な畿内の勢力が突出して強くなったと考える
またヤマトと名乗ったのもその交易の便宜上必要なものだっただろうね
0516ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:33:49.17ID:g3+E8DMO
 


 


朝鮮半島を領土に治め、

北海道まで遠征して領土にしていた時代に、

なんで 邪馬台国の卑弥呼 みたいな

ヘンな勢力の原始人が日本にいたのだ!!!!


まったく 日本には、あてはまってないね!!!!


魏 とかいう中国の小国からの嫌がらせ

でなかったら、 台湾・沖縄・フィリピン が正しい。

それってマジでフィリピン でないの、 

シャーマニズムのシャーマン卑弥呼だとか、とても土人ぽいけど

記述自体、南方へ相当な距離行っているからな

けっして西方のヤマトへ、でもない


 


 
0517ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:37:56.21ID:g3+E8DMO
 


 


朝鮮半島を領土に治め、

北海道まで遠征して領土にして、
   
広さで世界最大といわれる超巨大な古墳群を建造していた時代に

なんで シャーマニズム土人の邪馬台国のシャーマン卑弥呼 みたいな

ヘンな勢力の原始人が 日本にいたのだ!!!!


まったく 日本には、あてはまってないね!!!!


魏 とかいう中国の小国からの嫌がらせ

でなかったら、 台湾・沖縄・フィリピン が正しい。

それってマジでフィリピン でないの、 

シャーマニズムのシャーマン卑弥呼だとか、とても土人ぽいけど

記述自体、南方へ相当な距離行っているからな

けっして東方の大和へ、でもない


 


 
0518ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:39:40.09ID:eFEczHpl
海人族が入り込み各地の交易を担ったと考えると見えてくるものがある

巻向遺跡を初めとして出雲や守山伊勢遺跡、唐古鍵遺跡に見られる「神々の集いの跡」というのは連合祭祀とは別の側面として、海人族がもたらす交易の成果を分配するための集まりであったのではないかということ
その利益はもちろん各地に分配されるから、この土地で出土する物品に大したものがないのも納得できる

この権益が莫大な利益を生み、海人族がその土地で大きな権力を得たと考えると征服よりも合点がゆく
0519ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:41:35.76ID:g3+E8DMO
 


 


朝鮮半島を領土に治め、

北海道まで遠征して領土にして、
   
広さで世界最大といわれる超巨大な古墳群を建造していた時代に

なんで、 シャーマニズム土人の邪馬台国のシャーマン卑弥呼 みたいな

ヘンな勢力の原始人が 日本にいたのだ!!!!


まったく、 日本には あてはまってないね!!!!


魏 とかいう中国の小国からの嫌がらせ、

でなかったら、 台湾・沖縄・フィリピン が正しい。

それって、マジでフィリピン でないの

シャーマニズムのシャーマン卑弥呼だとか、とても土人ぽいけど。

記述自体、南方へ相当な距離を行っているからな

けっして東方の大和へ、でもない。


 


 
0520ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:47:57.01ID:3Co6O/MC
>>20
言語学者なら「好古都国」は「岡田国」などというはずがない。
言語学的には只の耄碌ジジイ
0521ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 03:51:08.17ID:g3+E8DMO
>>506朝鮮人韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

扇動罪・内乱罪、 公安に通報した
 


 


朝鮮半島を領土に治め、

北海道まで遠征して領土にし、

広さで世界最大といわれる超巨大な古墳群を建造していた時代に、

なんで シャーマニズム土人の邪馬台国のシャーマン卑弥呼 みたいな

ヘンな勢力の原始人が 日本にいたのだ!!!!


まったく、 日本には あてはまってないね!!!!


魏 とかいう中国の小国からの嫌がらせ、

でなかったら、 台湾・沖縄・フィリピン が正しい。

それって、マジでフィリピン でないの

シャーマニズムのシャーマン卑弥呼だとか、とても土人ぽいけど。

記述自体、南方へ相当な距離を行っているからな

けっして東方の大和へ、でもない。


 


 
0522ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 04:03:25.87ID:9JWlny6o
勉強すればするほど 恥をかかされる日本史・・・
0523ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 04:11:24.93ID:Ca6iJlhw
>>513
そのアホな後付け。何のフォローにもなってない。
お前の言う様に狗奴国と戦争中で無いなら、時系列にすると

北九州→河内→狗奴国になる。

無茶苦茶だろwww

書いてて恥ずかしくないのか?
IDコロコロ君w
0525ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 04:15:02.23ID:g3+E8DMO
>>522朝鮮人韓国人テロリスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

扇動罪・内乱罪、 公安に通報した
 


 


うざい、原始信仰カルトのシャーマン土人!
 
関係が無いんだけど、朝鮮人系韓国人系の学者は、永久国外追放しろ!


 


 
0526ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 04:19:12.81ID:3Co6O/MC
>>490 吉野ケ里に楼観があったという証拠が出土してないのに
吉野ケ里テーマパークに楼観を捏造する北九州クヲリティーwwwww
0527ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 04:22:22.80ID:3Co6O/MC
>>480
ヒミカw
なんていう時代考証メチャクチャの読み方をする古田教信者は書き込み禁止w
0528ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 04:38:33.04ID:3Co6O/MC
>>110
言語学会の誰が指摘してるんだ
具体的に名前を挙げてもらおうか
0529ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 05:32:40.58ID:3Co6O/MC
>>173
九州は製鉄に必要な炭=森林が枯渇したので
森林を求めて東征したんだな
今でも銅鐸文化圏とか銅剣文化圏という分類が言われてるのか知らないけど
九州、出雲は好戦的
銅鐸文化圏の中心大和は平和を愛する宗教的雰囲気が強い。
「大和はクニのまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる ヤマトしうるはし
これは製鉄に必要な樹木が生い茂る今の奈良県を征服した喜びを表わした和歌
つまりシラー作詞ベートベン作曲の所謂第九「歓喜の歌」と似たようなモノだ。
奈良社(こそ)卑弥呼の居た土地だ。
0530ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 05:45:08.61ID:L+QeexTb
>>1
東スポかよ。

学会で九州説が淘汰されたのは知っていたが、
もはや在野にもまともな研究者はいなくなったか。
0531ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 07:15:52.72ID:HUSZYxev
>>1
朝鮮クオリティな主張だな
0532ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 08:20:07.42ID:FgCU8Xfj
ヒミコ   何等確たる読みの証拠はない

ヒミカ   筑後風土記にミカヨリ姫があり 恐らくヒミカのことと思われる
0533ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 09:04:56.45ID:3Co6O/MC
Xヒミカ
春秋戦国時代の上古音で統一するなら
○ペミカ
魏晋音なら「ピミコ」または「ピミク」
「日」は万葉語で「PI」と発音
80年、90年の軍隊用語で「1日」はイッピと発音。
こういうふうに「イチ」と「日ニチ」が一つの単語として発音されると
原型の支那語により近い形で発音される。
播磨風土記で「日岡」の命名譚で景行天皇が狩りをしてた時鹿が「比比=ピーピー」と啼いていたとある。
鹿の啼き声は現代でも「ピー」だ。
「比」をhiと発音するようになったのは大体17世紀後半〜18世紀の江戸時代。
10世紀〜17世紀安土桃山時代の「ひ」はイェズス会発行の日葡辞書によるとfi、現代仮名遣いでフィ。
天草本「平家物語」はFeiqe no monogatariと綴られている。
8世紀以前の「ひ」はpi。
毘沙門bisyamonの「毘」を清音化するとhiとなることは現代のグローバル・スタンダードの音声学では説明不可能。

すなわち日本限定独特のガラパゴス音声学的屁理屈wwwwwwwww
0534ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 09:38:34.35ID:FgCU8Xfj
この数年間、日本の古代史学界は「邪馬台国」問題から“目をそむけて”きつづけたように見える。けれども、学問そのものは一歩も停滞しなかった。
 それどころか、研究史上、一つの画期をなす論文が出現した。谷本茂氏の「中国最古の天文算術書『周髀算経しゅうひさんけい』之事」(「数理科学」一九七八年三月)がこれである。
 『周髀算経』は、周代に生れ、後漢末(二〇六〜二二〇)に成立した本だ。冒頭は周公と商高(殷人)との対話にはじまる。このようなスタイルは、通例(後代の啓蒙主義史観からは
)“周公に仮託した後代の偽作”と見なされることが多い。ところが、
そこに語られた星の運行は、まさに紀元前一一二二(前後一〇〇)年頃のものであることが判明したのである
(能田忠亮『周髀算経の研究』)。文字通り殷末・周初の、周公の頃だ。さらに、後に増拡された記事の部分には、春秋末から戦国初にかけて出現した、星の運行が記されている。すなわち、
この記事の、この時期に成立したことが認められるのである(同右)。
 以上によって、この『周髀算経』が周初から周の中・後期にかけて“生育”していった、という性格の内容をもつことが明らかとなった。そして同時に、注記を加えて編成された時期もまた、
これを確定できるのである。なぜなら、編者たる趙君卿(漢)によって付せられた注は、
もっとも新しいものとして「二〇六」成立の引用書をふくんでいる。従ってこれ以後の成立だ。また編者は「漢」の人物であるから、「二二〇(漢の滅亡)」と以前に属する。すなわち上限「二〇六」、
下限「二二〇」の間、十四年間のうちに、この書は編成されたのである。この後漢末十四年間は、まさに『三国志』の第一巻の時期、つまり曹操の活躍していた、そのさ中である。
 さて、若き自然科学研究者、谷本氏の発見は、この『周髀算経』の中で用いられている里単位が計算によって確認できる、という一点にあった。それは「一里=約七六〜七メートル」だった。
これはわたしがかつて『「邪馬台国」はなかった』でしめした魏晋(西晋)朝短里(一里=約七五メートル。精しくは「七五〜九〇メートル」の間で、七五メートルに近い、とした)と驚くべき一致をしめしたのである。
氏はこの両者の一致を「単なる偶然の一致」としてすませることは出来ない」と結ばれた。
 思えば、わたしにとって氏との邂逅(かいこう)は、楽しき思い出にみたされている。当時京大の工学部の学生であった氏は、わたしに一葉の書便をもたらされた。
その中で、わたしの本に着目したのは、一に「学問としての方法」にあることを、懇切にのべておられたのである。
 爾来、氏はわたしの家にしばしば訪れられ、わたしもこの若き探究者に最近の発見を告げることを楽しみとするようになった。そのある目(一九七五年)、
氏は“『周髀算経』が「短里」で書かれている”という、自己の発見を告げられたのであった。わたしの家の夕食の席でしめされた一片の計算用紙、それが今もわたしの手もとになつかしく保存されている。
0535ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 09:45:56.41ID:FgCU8Xfj
ヒミカは正しい読み
日本列島では古代より人々が住んでおり 当然言語があった
其の言語音と漢字が結合した
当然日本語の読みに漢字をあわせる
逆にチャイナ語にあわせるわけではない
江戸時代にモトオリが当時のチャイナ人に魏史を読ませたがこれは真実には結びつかない手段
日本語は古代より連綿と続いており現在の読みで正解

533こそ半可通の屁理屈にすぎない  ではヒミコの読みを立証してみればよい  恐らくできない
0536ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 10:37:13.95ID:3Co6O/MC
>>535
オマ屁は「邪馬臺」を何と読むんだ
日本人が文字を持たなかった時代、古代の支那人が自分たちの漢字で書き留めた「邪馬臺」。
日本語の「はひふけほ」は最古の「ぱぴぷぺぽ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」を経て
江戸時代に「はひふへほ」に変化したという客観的な証拠がある。

「臺」を「タイ」と読むのは江戸時代の支那の発音だが
古代の日本語には「アイ」や「タイ」という母音連続(=二重母音)も無かった。
二重母音は漢字の発音を支那人のように発音しようと訓練した結果だ。
「海津かいづ」をケーヅという風に単母音化、長母音化しているのは関東東北方言だ。
春秋戦国時代の発音はdɯːでmがひっくり返った形の発音記号「ɯ」は
関東〜福島弁の唇を丸くしないで横に引いたウの発音によく似てる。
即ち「邪馬臺」はヤマドゥだ。
0537ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 10:46:14.22ID:wpuvoZN/
>>446
>国家ができる前に、しかも文字もないのに誰が暦を管理してた?

暦を管理しなくても、年数を数えることはできる
春秋年(二倍年暦でもいいけど)で、大王の宝算や在位年数の記録だけがあったというのが
だいたいの見方
0538ニュースソース検討中@自治議論スレ
垢版 |
2019/01/06(日) 10:46:16.62ID:LOD/9+x/
記紀で垂仁天皇の命令で常世の国に行った田道間守が、
ミカンの木を持って帰ってきたって話あるけど、それって親魏倭王の印と黄幢だと思う
●木→旗  ●実→印鑑
隠喩してると思うんだな。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況