【邪馬台国】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か 福岡市・西新町遺跡[11/23]
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邪馬台国の時期と重なる古墳時代前期(3世紀半ば〜後半)に使用されたとみられるすずり5個が福岡市早良区の西新町遺跡から出土していたことが、柳田康雄・国学院大客員教授の調査で分かった。一つの遺跡から5個確認されたのは最多。同遺跡は王都のような政治的拠点ではなく、交易拠点だったと考えられており、まとまった数のすずりは、古代社会の経済活動でも広く文字が使われた可能性を示している。
弥生時代から古墳時代前期のすずりは、北部九州ではこれまで8個が見つかっていた。各地域の中心とみられる場所からの出土が多く、「王」などの権力者周辺による文字使用が想定されていた。西新町遺跡は中国の歴史書「魏志倭人伝」に出てくる「伊都国」と「奴国」の中間に当たり、古墳時代前期に朝鮮半島や日本各地から多数の土器がもたらされるようになり、倭の貿易港として急激に成長したと考えられている。
5個のすずりは2007年度までの調査で発掘され、砥石(といし)などとみられていた。柳田教授が他の遺跡の出土品と比較し、形状などからすずりと判断した。長方形の完全な形に近い状態のものが1個(長さ約10・4センチ)で破片が4個。いずれも厚さは0・5センチ前後で、破片も含めて両辺が確認できるものは幅が約4・4〜5・4センチ。3個には朱を使った跡があるという。
西谷正・九州大名誉教授(考古学)は「政治だけでなく経済でも文字が使われていた可能性が高まり、日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」と評価。柳田教授は「交易で普通に文字を使っていたと考えられる。他の遺跡の出土品を見直せば、もっと見つかるかもしれない」と話している。
=2018/11/23付 西日本新聞朝刊=
■西新町遺跡の出土品から確認されたすずり
https://www.nishinippon.co.jp/import/culture/20181123/201811230001_000_m.jpg
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/467782/ 交易に使ったのなら倭国か取引先にでも文字の書かれた遺物とかあればよいのにね。
土人!
馬鹿どもよ、
邪馬台国の記述は、全部が朝鮮半島だ。
小国がたくさん記述に出て来るのは、朝鮮半島での土人(原始人)の部族名のことだ。
当時の朝鮮半島での領土の境界が地図によって変幻自在してるだろ、
ようするに移動狩猟民の部族だからだ。
世界の歴史地図では、朝鮮半島などはツングース系採集狩猟民の住むところで
文明の範囲外であるので、真っ白の空白地帯となる。
狩猟民は、原生林の中を獲物を求めて部族単位で
移動してたんだ。
で、記述のなかでいろいろと探検していって最後に最南方の邪馬台国に到着だな。
これ、ようするに日本領土だった朝鮮半島南端の任那日本府のあったあたりのことだ。
その、日本大使館か日本総領事館のような砦があった任那では、
原始部族のシャーマンであった卑弥呼が原住民のほうの族長だったということだ。
わかったか、
>>133
>邪馬台国の記述は、全部が朝鮮半島だ。
この時点で日本人じゃないなw
土人連呼も彼の国の人の特徴ww >>1
2019/02/21
【古代】倭人の可能性示す、内陸部での出土 今後のカギは文字確認 北部九州、国産硯の製作跡から見えてきた弥生の「文明開化」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1550742659/21-25 2019/02/20
【古代】「倭人が使っていたとしか言いようがない」 北部九州に紀元前の硯製作跡 国内の文字使用開始、300年以上さかのぼる可能性★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1550662503/ 置物として何かと交換しただけだろw
アホ草w
文字を持たない邪馬台国は、文字を持つヤマト王権に滅ぼされた。ただそれだけのことだ 幕府ができる遥か前から、福岡は半島とのハブだったんだな 神武の東征は商周の易姓革命の焼き直しじゃね?
実際は後半部分の東海と河内の戦いだったのかも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています