ウィキを見たら
536年に、朝鮮半島で、雷が鳴り、疫病が大流行し、続いて、広範囲の干ばつが起こった、
537年に、新羅が任那を侵攻したため、大伴磐(おおとものいわ)と大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が
任那救援のために派遣され、任那を鎮めて百済を救った、
538年に、仏教公伝、百済の聖王(聖明王)、仏像と経論を倭に献上、とか。

火山噴火 → 朝鮮半島の飢饉 → 内乱 → 倭と百済の緊密化 → 仏教伝来、という流れなのかな。