【古代】“マッチョ”な弥生人 その正体は!?上半身だけ特別に発達した弥生人!の人骨が発掘された[11/14]
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弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。“マッチョ”な理由を探ってみると、古代人たちの知られざる営みが見えてきました。(福岡放送局ディレクター 佐々木健)
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■上半身だけ特別に発達した弥生人!
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今回人の骨が見つかったのは、長崎県佐世保市の離島、高島にある弥生時代の宮ノ本遺跡です。発掘に立ち会った人類学者の海部陽介さんは、初めて見たとき、驚きを隠せなかったといいます。
一般的な弥生人の骨と比べ、異常に太く、しかも、上腕骨や鎖骨など上半身の骨が特別に発達した不思議な体型です。
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■九州西北部の島からも
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一般的な弥生人の男性の平均身長が推定162.6センチで、ヒョロッとしていたのに対し、高島の弥生人は、それより4センチほど低いものの、筋骨隆々で、胸や腕、首などが異常に発達していたことがわかりました。
しかもその体重は、推定でなんと77.2キロ!身長170センチ体重59キロの私よりも、実に18キロ重いのです。
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詳しく調べると、こうしたマッチョ体型の弥生人の人骨は、高島以外にも、長崎県の平戸や五島、そして熊本県の天草など、九州西北部の複数の島から見つかっていたことがわかりました。
■CTスキャンで分析すると
どうしてそんなマッチョ体型になったのか。海部さんは、筑波大学でスポーツ科学を研究する足立和隆准教授に骨の詳細な分析を依頼しました。
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左側が、現代人の男性、右側が高島のマッチョな弥生人の上腕骨の断面図です。現代人の上腕骨の断面が丸っぽいのに対し、高島の弥生人の骨には、三角にとがったところがあるのが分かります。足立准教授は、この突起が、腕や肩を動かす三角筋によって、上腕骨が強く引っ張られていた証拠だといいます。強い負荷がかかると三角筋が太くなり、それに耐えられるように骨と接続している部分も太く変形します。
こうした突起が周囲3方向にできていたことから、腕をあらゆる方向に回したり引っ張ったりする動作を激しく繰り返していたのではないか。
足立准教授は、彼らが“舟のこぎ手”だったと推測しています。
■マッチョな弥生人が運んでいたのは?
「この集団は、“貝の交易”をやっていた、つまり貝の運び屋だったんじゃないか」(海部さん)
“貝の交易”とは何かを知るために、福岡県飯塚市にある飯塚市歴史資料館を訪ねました。ここには、弥生時代の遺跡から発掘されたものが展示されています。
銅鏡や祭器などの宝物が数多く並ぶ中、ひときわ目立っていたのが白い腕輪です。「貝輪」と呼ばれる装飾品で、当時の権力者が身につけていたとされています。この貝輪、弥生文化が花開いた佐賀や福岡など九州北部の各地で出土しています。
使われているのは「ゴホウラ」という巻き貝。九州近海ではなく、沖縄や奄美大島など南の海だけに生息しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_11.jpg
1000km以上の距離を、誰がどうやって運んできたのか、これまで大きな謎でした。
続きはソースで
NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1114.html 「現代の女子高生と同じ姿」と話題の1932年の少女たち、どの程度のレアケースだったのか? 骨からマッチョだったかどうかまで分かっちゃうの? 考古学すげえ。 ゴホウラ貝に結びつけるのは安易すぎる
海部さんは悪いひとじゃないんだけど研究者としてはちょっとアレ 邪馬台国は九州北部から30日歩くとたどり着く
1日当り4.3〜4.5キロ、平均4.4キロである。
朝8時に出発し、9時に目的地に到着し、その後、「朝の9時から22時間眠る」のである。
それを30日繰り返して北部九州の邪馬台国に120kmの道のりでたどり着くのである。
ちなみに散歩のおじいちゃんは1時間で4km歩くのである。 弥生人って要するに半島からやってきた人種の子孫だろ
ということは白人の血が少し混じってる奴が一定の割合でいたはず
そいつらはマッチョになっても不思議ではない
俺がガキの頃にも周りに在日の奴らがいたが(その頃はそいつらと仲良くしてた。今は在日なんて嫌いだけど)
釣り目でひょろひょろに痩せた”いかにも弥生人”な奴らがいる一方がっしりした体格の奴もいた
今にして思えばそいつらの目だけは他の奴と違って妙にパッチリしてた >>4って手作業で貼ってたんだな。URL貼り忘れとるし、笑える >>10
それだと背が低いことの説明がしにくくなるだろ . /  ̄`Y  ̄ ヽ
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. | // / l | | | | ト、 | また紅白落選?
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/ 登り棒オナニーに夢中になった弥生人の骨だと予想される もともとの人たちが増えたんだよ
必ず外から来なければならないと言う思考的縛りは戦後史観
悪事をなした日帝の民を矯正しなくてはという政治的な命題の為にそれに合わせるストーリーに成ってる
移住はそう簡単に成功しない、まして古代など生活は安定しない
途中で野垂れ死に続出で大量移民など現実離れした話だよ >>9
まぁ,そうなんだよな。
1日8時間歩いたとして,時速4kmで30日間で約960km。
これだと,大阪は越えて,富士山の麓ぐらいまで行ってしまう。
糸魚川から富士宮にかけての地溝帯あたりが邪馬台国になってしまう。
諏訪とか? 森の暮らしから田畑の暮らしに切り替えていく中で
稚拙な道具、鍛冶もままならぬ時代の伐採や開墾に必要以上のちからが必要に成り上半身が発達したんだろ >>27
山賊も出ない幹線道路があれば計算通りになるだろうね 幅1mしかない山岳地帯を通る中山道で1日30km
2000m級登山で1日20km
男足で15〜20日
「お供」を多数つれた行列
>皇女和宮の江戸降嫁の場合 中山道532km 27日間
しかし 北九州の弥生人は貧弱なので1日4kmしか歩けないそうだ
70歳のおじいちゃんですら20km歩けるのに
北九州邪馬台国の人間は1日1時間の散歩すら激痛だったそうなので
畑仕事も一切無理で 1日の大半を寝ていたことになる。
1日4kmしか歩けない貧弱な北九州の人間は 畿内の邪馬台国に即座に征服されたに違いないことが分かる 「結婚はエラい、子供がいればもっとエライ」と思う人へ...4ページのマンガが【話題】
http://niew.www.sitscape.com/107.html 手漕ぎ舟に乗ってたら誰でもそうなるんじゃね?
現代でもカヌー選手はそんな感じだし
「貝の交易」は限定し過ぎだろう 体操の選手みたいな体型だったのかな
あれ腕の筋肉が異常に太くて何か変な体型してるよな 縄文時代から船乗り水界民だった天孫族天津神が農業用奴隷として大量に移入しちゃった形質が人口圧で乗っ取っただけ。
支配民族満州族の本土だった満州を中国農耕民被支配層がエスニッククレンジングしたのと同じ。 >>1
想像図みたら大胸筋は発達してるけど
三角筋は目立ってないやん
あほか
ちなみに三角筋は肩パットの場所の筋肉な これか
ttps://genxy-net.com/wp-content/uploads/2015/06/7.jpg 身長185p、87kg、体脂肪率10%前後、背筋力280kg、筋肉量標準値からの乖離140%
のワシはそのマッチョ弥生人の世界でもバケモノじゃのう。
しかし上には上がいる。
同じ身長で100s前後で体脂肪率7%くらいのキチガイが居る。
薬物やって無けりゃあんな体にならんじゃろ。 身長185p、87kg、体脂肪率10%前後、背筋力280kg、筋肉量標準値からの乖離140%
のワシはそのマッチョ弥生人の世界でもバケモノじゃのう。
しかし上には上がいる。
同じ身長で100s前後で体脂肪率7%くらいのキチガイが居る。
薬物やって無けりゃあんな体にならんじゃろ。 弥生人は、エベンキ族とは関係ないからね。ヘンな連想は必要なし >>31
道のあるなしで相当違うんじゃねえの
中山道なんて女でも通れる道
弥生時代なら海岸沿い川沿い歩くしかないだろうよ
橋もかかってないだろうし
それで一日20qなんて無理 >>47
行軍は1時間4km、1日40kmが目安だよ
原野でその半分なら無理とは言えないレベル 縄文人、弥生人と二括りにしているが、
実際にはもっと多様な民族や人種の混合だろうな。
その時代から混血だらけだったんだよ。 >>49
ウィキだと騎兵部隊でも1日40―60kmって書いてあるぞ
確かに徒歩なら1時間4km計算らしいがこれは平坦な道のあるところじゃね
登山道なんかだと1日4q移動するのがやっとだし
原野つっても細かい起伏があるだけで相当に時間食うよ >>40
日本人の祖先がトンスラーだったなんて(´;ω;`) なんだっけか
初めて海を越えて日本にたどりついた古代人もこれだろ
腕力で黒潮を越えたんだ
ヤッテトーライ >>49
裸足で装備も水もなくやれるなら凄いわ
当時の再現してみてほしい 舟のこぎ手は納得だな
しかし足の筋肉も使うんじゃないか 山の中の獣道なら1kmが1時間から2時間かかるよ。 また身のほど知らずの福岡がしゃしゃり出てきとるな。
宮の本は福岡なんぞには無い「イモガイ」文化だ。
イモガイのブレスレットをつけた女の骨も出てる。
そのイモガイを北海道までも運んでる。
この相浦地域の、宮の本遺跡と門前遺跡は
安曇や宗像なんぞより圧倒的に古く、それらのルーツでもある。
分を弁えろ、分を。 イギリスやデンマーク、スウェーデンでもこの手の骨は出土してる
船の漕ぎ手か建設作業員なんだよな
オールや斧で日々動かし続けたことで骨が厚く大きく肥大する そもそも上腕が発達した人骨が発掘されたのは
これが初めてではなく1977年で40年以上前のこと。 いや、オラーンウータンみたいに手でぶら下がり樹上を渡り歩く生活をしていたかも知れんぞ 生まれつき骨太な人は昔から居るよね。
そういう人は女でも力持ち 弥生時代人や弥生時代そのものを見直さないと誤解だらけの古代日本史になりつつある
学会で現行の弥生時代の廃止を訴えるべき
縄文時代と統合して何か問題があるのかと
出土した土器で時代分けをする必要を感じない >>9
机上の空論て知ってるか?
あの時代のどこに平坦に舗装された道路があるんだよ?
川にも全部橋が架かってると思ってんだろうなぁ /フフ ム`ヽ
/ ノ) ∧∧ ) ヽ
゙/ | (´・ω・`)ノ⌒(ゝ._,ノ
/ ノ⌒7⌒ヽーく \ /
丶_ ノ 。 ノ、 。|/
`ヽ `ー-'_人`ーノ
丶  ̄ _人'彡ノ
ノ r'十ヽ/
/`ヽ _/ 十∨ 縄文人の末裔や、縄文人の血が濃く残った連中じゃね?
今でも九州の偏狭は縄文顔だし >>47
古代の道は基本的に尾根道なんだってさ
川沿い海沿いはアップダウンがきついうえに増水等で崩壊しやすい
土木工事技術が未発達だから、復旧にも時間がかかる
現代でも山屋なら得心できるんじゃないかな
>>64
縄文弥生は年代より文化圏の違いかと >>49
古代中国においては一日の平均的な行軍距離を一舎と言い、一舎=三十里(約15km)とされる
これが平地での標準行軍速度なので難地ではもっと遅い
http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/KanjirinHB6i.html
> 【舍】
> C軍隊の一日の行軍距離の単位、一舎は三十里(約15km)、「一舎ごとに一宿する」ことから >>66
腹筋〜胸筋〜上腕筋
すべて〜鍛えれば〜
弥生人 >>68
それは逆
街道が尾根筋を通るようになったのは、全国の洪積台地が禿げ山になった近世以降
古代は見通しの悪い雑木林を切り開かないといけなかったから、狼煙を目印に通した直線ルートが多い >>68
うちの地元も、旧道は尾根沿いを通ってるとこがいくつかあるな 2018/11/23
【考古学】縄文土器に大量の「米食い虫」=北海道・館崎遺跡から出土−熊本大[11/23]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1542962973/141-146
2018/11/28
【朗報】天皇家、縄文人だった。皇族のハプログループはD1b1a2b1a1(縄文人)、藤原氏はO1b2a1a1(弥生人)と判明 [483053163]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1543380625/
2018/12/10
【遺伝】「地理的に近い朝鮮半島より、東北地方の住民に近い」 出雲人のルーツ、骨から迫る
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1544450182/
2018/12/02
【人類学】鳥取)弥生時代の人骨のDNA分析 大半が渡来人[11/30]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1543747939/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています