三重県伊賀市の民家から、江戸時代に忍者の師弟が交わした「誓約書」など古文書百三十二点が見つかった。忍術に使う武器を開発したら師匠への報告を約束させ、盗みへの悪用を禁ずるなど、当時の師弟関係がうかがえる内容。資料を分析した三重大国際忍者研究センターの高尾善希(よしき)准教授(近世日本史)は「忍術書がどのような使われ方をしたのかが分かる貴重な史料だ」と話している。

 古文書は同市大野木の木津俊夫さん(68)方から見つかった。木津家は江戸時代の寛永十(一六三三)年から享保七(一七二二)年、伊賀などを治めた藤堂藩に仕え、「伊賀者」として江戸城下の警備役を務めた。

 古文書のうち「忍術起請文(きしょうもん)」は正徳六(一七一六)年、木津さんの祖先・五代目木津伊之助が入門時に師匠・長井又兵衛と交わした誓約書。存在は知られていたが、実物は見つかっていなかった。

 師匠直伝の忍術や道具、忍術書の取り扱いについて、六項目の約束事を規定。「親子兄弟たりといふ共他見他言仕間敷候(中略)人ニ写させ申間敷候(親子や兄弟にも教えない、書き写させない)」と、秘密の厳守を求めている。

 伊賀、甲賀に伝わる忍術を紹介する文書「万川集海」(全二十二巻)も秘伝だったが、今回見つかった誓約書の中では、家老ら藩の重役には忍者の扱い方などが書かれた部分のみ伝えることを認めた。忍術に使う武器などの道具を新たに思いついた場合、師匠に申し出ること、また、師匠が教えた忍術は盗みに悪用しないよう厳しく律した。

 文書の末尾には、約束を破らぬよう、「日本国中六十余州大小神祇 殊ニ氏神之御罰子々孫々身上深厚ニ可蒙罷者也(日本国中のやおよろずの神に子孫の代までたたられることになる)」と、強い言葉でくぎを刺している。

 誓約書の末尾に木津伊之助の花押があり、高尾准教授らが本物と確認した。

 見つかった古文書には、藤堂藩での給与など伊賀者の待遇を記したものもあった。今年二月、三重大に持ち込まれ、同大院生らが解読している。

<万川集海> 
伊賀と甲賀の全ての忍術を集めたとされる秘伝書。延宝4(1676)年にまとめられた。火器編ではたいまつや火縄、のろしなどについて成分や用法を紹介。「まんせんしゅうかい」「ばんせんしゅうかい」と呼ばれ、写本が残っている。

■木津伊之助が師匠の長井又兵衛と交わした「忍術起請文」
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/images/PK2018110702100011_size0.jpg

中日新聞(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018110702000092.html