>>871
>畿内式土器というのは大阪の土器なんだけど?

畿内第V様式土器でググってごらん
弥生時代後期の始まりの頃に、大和+河内〜環大阪湾の範囲が、
それぞれの地場の土器を作らなくなって、畿内第V様式土器で統一されている


この範囲を、邪馬台国七万戸の範囲とみなすのが、標準的な畿内説
そして、七万戸と広大な範囲なので、土器生産の中心も複数あり、
一つが河内に、一つが大和にある
それぞれに癖があるから、見分けもつくが、第V様式、庄内式、布留式と
様式変化が同時に起こるので同一勢力圏であることはまったく問題ない

そして、西に行くときは河内の土器を、東へ行くときは大和の土器を持って
出かけるのが当然
畿内以西で出るのが河内の土器なのは当たり前