日本を震撼させた一連のオウム真理教事件から約30年、教団幹部7人の死刑が執行された。そのうちの1人である中川智正元死刑囚と個人的な交流を続けてきた台湾出身の毒物学の権威、米コロラド州立大学のアンソニー・トゥ(杜祖健)名誉教授(88)が、筆者の取材に応じ、最後の面会時の様子などを明かしてくれた。

「先生もお元気で」 

最後の面会は今年4月、中川元死刑囚が東京拘置所から広島拘置所へ移送されて間もなくだった。当時から移送は死刑執行の準備のためだろうと見られていたが、トゥ教授がこう振り返る。

「中川元死刑囚はいつも私が来るのを楽しみにしているようでした。私も彼からサリンやVXガスの実際の製造法や利用法について話を聞けることは、専門家として有難いことだった。死刑執行が近いことは彼も予想していたようですが、この時も過去の面会時と同じく死刑を怖がっている様子はありませんでした。『先生もお元気で。これが最後の面会かもしれません。英語の論文では大変お世話になりました』というのが私への最期の言葉です」

ここでの「英語の論文」とは、トゥ教授と中川元死刑囚が今年5月、日本の学術誌『Forensic Toxicology』に連名で寄稿した論文のこと。2017年2月にマレーシアで起きた金正男殺害事件に対する見解をまとめたものだ。論文執筆のきっかけは、事件発生直後、マレーシア当局が死因を確定する前の段階で、中川元死刑囚がいちはやくVXガスと断定していたことだった。

当時、中川元死刑囚は、弁護士経由でトゥ教授へ送った英語の手紙に、「症状から考えてVXガスに間違いない」と書いていた。ニュースで知った金正男の症状と自分の経験とを照らし合わせたうえでの判断だった。手紙はオウム事件におけるVXガス使用時の状況と金正男事件を比較した詳細な内容となっており、中川元死刑囚は北朝鮮がオウムの真似をしてVXガスを運搬、使用したのではないかと疑っていた。

■論文掲載のタイミングでの執行

中川元死刑囚は、最後まで自らの論文の掲載にこだわっていたという。

「最初は彼の希望通り英語で論文を作成しました。英語の方が世界的に読者が多いので、マレーシアでの事件について自分に『先見の明』があったと、世の中に知って欲しかったのかもしれません。ただ、なかなか掲載されず、やがて彼は日本語で載せたいと考えるようになりました」

中川元死刑囚は、自らの経験を後の世に伝えていくことが、自分の犯した罪を償うことに繋がると考えていたのかもしれない。

最後の面会時点ではまだ英語の論文の採用が確定されていなかったが、「(論文を書けたことは)先生のおかげで感謝しています。論文というのは、まずは採用されることが大切だということがわかりました」とも述べていたという。

結果的に英語の論文は掲載され、さらに日本語の論文も専門誌『現代化学』8月号に遺稿として掲載される予定だ。そうしたタイミングで中川元死刑囚の刑が執行されたことについて、トゥ教授はこんな風に語っている。

「論文が英語と日本語と両方で出ることになり、彼は最後に望みを果たした。その点では満足していたと思います。死刑については、来るべきものがついに来たという感じです。長い交流があったので、彼の死には哀愁を感じますが、日本には法律があり、国民も死刑制度を支持している。法の権威の維持や被害者遺族から見れば執行は当然のことで、むしろ遅きに失した感さえあります」

>>2につづく
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180712-00543955-fsight-soci