【脳科学】マインド・アップロードは可能?──MITを巻き込み世界的権威が真っ二つ[04/23]
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脳内の情報のやり取りは、ほとんどが電気信号。
なので脳内の電気信号のやり取りの仕組みを、そのまま電子回路で再現できるはず。そういう根拠で研究が進んでいるのが、
マインド・アップロード。人間の意識をそのままコンピューターにアップロードしようという研究領域だ。
SF映画などではよく見かける話だが、果たして本当にそんなことができるのだろうか。研究はどの程度進んでいるのだろう。
MIT Technology Reviewのこの記事、「MIT、『脳の永久保存』企業との研究契約解消へ」は、
ベンチャー企業の事業内容に関する論争なのだが、
その中でノーベル賞を確実視されるような世界的な研究者が意見を戦わせているのがおもしろい。
対立意見の中にこそ、真実が見える。この記事から、マインド・アップロード研究の現状を探ってみたい。
この記事は、脳の永久保存を推進するベンチャー企業Nectome(ネクトーム)社の主張に科学的根拠が乏しいとして、
同社と業務提携しているマサチューセッツ工科大学(MIT)に対しても批判が起こっているという内容。
批判を受けて、MITは結局、業務提携を解消している。
■将来サイボーグとして再生するために
詳しいことは記事を読んでもらうとして、同社の主張は、
@今はまだマインド・アップロードの技術が確立していないが、
技術が確立して人間がサイボーグとして生まれ変われるときがくる
A今、脳を永久保存しておけば、その技術が確立したときに生き返ることができる、というもの。
完全な形で脳を保存するためには、脳死する前に保存液を注入しなければならない。
ただ保存液を注入すると、その人物は確実に死ぬ。末期患者の安楽死が認められている国や州でのみ、
末期患者の脳の永久保存を受け付けているという。
安楽死に対する賛否が分かれることから、論争になっているわけだ。個人的にはその論争よりも、
世界のトップレベルの研究者が脳の永久保存やマインド・アップロードの可能性をどうとらえているのか、
ということに興味がある。
人間の蘇生が可能になる未来を信じて、脳を冷凍保存するという研究やビジネスは、ずいぶん昔から存在する。
実は僕も米国に在住していた25年近く前に、
脳を冷凍保存するベンチャー企業をカリフォルニア州バークレーに訪ねて取材したことがある。
工場のような敷地の中に、ドラム缶のような容器が置いてあり、その中に冷凍された脳が保管されている、という話だった。
脳1つ当たり100万円ほどで100年間保存する、というような契約だったように覚えている。
なんだかずいぶん怪しげなベンチャー企業だった。
MIT Technology ReviewのA startup is pitching a mind-uploading service that is "100 percent fatal"という記事によると、
こうした脳の永久保存はいろいろな方法で試されており、米アリゾナ州にあるAlcor延命基金には、
150人以上の遺体や脳を液体窒素で保存しているのだという。
ところが数年前に、脳に保存液を注入することで脳のコネクトームを保存できる新しい技術が開発された。
コネクトームとは、ニューロンを結びつけるシナプスの地図のようなもの。神経学者Ken Hayworth氏によると、
特定の個人の意識を再現するにはコネクトームの地図が不可欠だという。
保存された脳を蘇生できるかどうかは分からないが、
少なくともコネクトームのデータがあれば、コンピューターで意識や性格を再現できる可能性があるというわけだ。
今は無理だが「100年後には可能になっているかもしれない」とHaywarth氏は前向きに評価する。
関連ソース画像
https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/assets_c/2018/04/yukawa180423-thumb-720xauto.jpg
ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/04/mit.php
ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2018/04/mit.php
続く) >同時に同じ場所に存在できないのだからそれはコピーされた瞬間から同一ソースの別物である。
同じ場所に存在できないが、ネットワークで常時シンクロされていて
すべての間隔は共有されているからAが感じたことはBもまったく同じように感じる。
自分の体が2つあるってことだ。
同じ場所にいるのと同じである。 × すべての間隔は共有されているから
〇 すべての感覚は共有されているから ちなみに思考実験の上では
完全コピーを作るのに生身の体でなくてもよい。
脳に対するすべてのインターフェースが完璧な電子システムでもよい。
どうせ生身のクローンも電子システムも
どちらも作れるわけないのだから、空想ならいくらでも出来るしかまわない。
自分という自我は永遠の謎。
死んだあと、どこかの惑星にまた出現するかもしれない。
死と死の間に時間があったとしても、それを感じることはできないのだから
常にずっと生きているのと同じなのかもしれない。
この地球上で死んでも
気づいたら別の惑星でまた生きている可能性大。
そういう不思議なのが自分という自我なのである。
そして我々はみな
本当は同じ自分なのであって、ネットワークが切れてるから他人に見えているだけなのかもしれない。
一人ではあまりにも寂しすぎるから、わざとネットワークを切って大勢の自我に見せかけているだけなのかもしれない。
そういう可能性は確実にある。 >>25
マイクロチップの魔術師がそんな小説だった。 脳と精神の関係はハードウェアとソフトウェアの関係と同じ?
脳と精神はそのように進化したのだろうか?
あるいは、そうなっていなくても技術的に両者の分離は可能なのかな?
ハードウェア的に実現されていたものをソフトウェアで実現し、
どんどんコピー可能にするということが。 ネットワークを介してるA.B.C.Dはおそらく同一意識として存在できるだろう
それを踏まえて自分が推察するのは、
切り離されたA.B.C.Dの意識でも「自分である(あった)」と認識できれば、家族を想うように、昔の自分を想うようにエンパシーを感じられるはずだということ
合わせて言うと、現時点でも誰しもか分裂した自分は持っている
家族と居る自分、友人と居る自分、職場での自分、独りで居る自分
さらに言うならば、我々のように5chに書き込んでいる自分、twitter、インスタ、Facebookに顕在する自分というのはそれぞれのプラットフォームに合わせ、TPOに合わせほぼ同時に並列して、同一でない自分というのを創出しているわけである
自分で思うほど自我というのは単一的ではなく、(ささやかではあるけども)多次元に同時に存在できるという可能性を証明している >>182
精神もハード
ソフトでエミュレートは可能 >>183
そこに書いてあるいろいろな「自分」というのは
完全にたった1つの自我、すなわち単一の自我である。
なぜかって、自分で
思考・感情・感覚がすべて認識できてるからだ。
そして他の誰もそれらをまったく認識していないからである。 さて、今度は自分1つの体を考えてみる。
もし、左半分と右半分が別々に自我を持っており、
異なる思考・感情・感覚ならばどうなるだろうか。
右半分には左半分が何を考えているのか分からない。
右半分には左半分が怒っているのか悲しんでいるのか分からない。
右半分には左半分のケガや病気は分からない。
そして、右半分には左半分がどう動こうとするのか分からない。
マジンガーZのあしゅら男爵はここまで分離していないが、
まあ外見はそういう感じである。
こういうような状態ならば自分には複数の自我があると言える。
複数の自我同士の連携が取れていないのである。だから複数の自我なのだ。
あるいは、時間間隔で異なる自我が現れるとされる多重人格がある。
これは完全に別の自我なのか現実的には疑問視されているのだが、
形態としては複数の自我として考えてもいいかもしれない。
多重人格を除いて
我々の体は常に1つの自我で1つの体の思考・感情・感覚を統合しているのであり、
これは右半分をAという人物、左半分をBという人物であると考えた場合に2人を
単一自我で統合しているのと同じことなのである。
この場合のネットワークによる常時シンクロは言うまでもなく肉体が行っているのである。 ニューロン、シナプスの成長と劣化が、全く同じに再現できないから
瞬間のコピーは可能としても、全く同じものは無理だろ。
あくまでもベースとしてコピーしただけで、別物だよな。 基礎学習が必要なくなるのはいいなぁ
身に付けたい知識もインストールするだけとか最高じゃん 星新一のSSであったな
金持ちが機械に意識移して長生きしようとしたら肉体が人間じゃないから人間とは見做されずに廃棄されたって話 攻殻機動隊の世界では電脳というシステムがあってそれが普通だからロボ型に意識移して生活してる >>177
あなたは、「思考+感情+感覚=自我」と考えていることから、
「自我が同一のAとBは別離していても同じ認知思考を行うはずだが、同じものが別になったら別になっちゃうから同じじゃないとだめ」
という言葉遊びに絡め取られているだけ。まずその前提から、この命題を扱うことはできない。
対してコピー可能と考える者は、身体=感覚がまずあり感情や思考はそこから生成される従属現象でしかないから、身体のコピーが(実体だろうがシミュレーションだろうが)完全にできれば、思考はその身体から自然と出力されると考えている。
そしてその身体は同一時刻に同一地点に存在できないから、感覚に対する入力も違い、感覚が違えば思考・感情は違うものになるのは自明という考え方である。
それどころかベンジャミン・リベット以降の見地に立てば、
感覚とそのフィードバック(行動)は思考とは別に決定されており、思考や感情はフィードバックシステムに付随するオマケでしかない。 ゴーストとか意識とかは存在しないからアップロード不可能 「自分」が単なる情報ならいくらでもコピーできるはず。
でも、コピーされた自分は、常に同期されていなければ
コピーされたとたんに別人になってしまう。
例えば自分のコピーをとってブルーレイディスクに保管しておいて
10年後に起動したら、そのときのコピー元の自分とコピーされた自分は
もう同じ自分ではなくなっている。 【マイトLーヤとUFO】 『月面にはウサギやウルフが棲息』 『宇宙人グレイは溶けてゼリーに』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525483483/l50
TOKIOを守るために子供たちを癌にするな! >>193
そういうこと。
よく理解できたな。
で、答えがないのは
コピー中あるいはコピー後に常時シンクロされていれば問題ないが、
そのネットワークを切った場合に
コピー元とコピー先のどちらが「自分」という自我になるのか不明だということである。
肉体に代わる完全コピー体がコピー先にあるのなら
そちらが自分であってもおかしくないということだ。
どちらが今の自分として自我がそのまま継続するのか一切不明で論理的に答えが出せない。
ただし、ブルーレイみたいな単なる情報媒体では完全コピーには到底ならないので不可。 >「自我が同一のAとBは別離していても同じ認知思考を行うはずだが、同じものが別になったら別になっちゃうから同じじゃないとだめ」
いやいや、
AとBはネットワークで常時シンクロしていないと単一自我にはならない。
ネットワークが切れて別離していたら自我の行方は不明である。
今まで自分だと思っていた自我はAにあるのかBにあるのか答えは出せない。
Aから見て、Bの思考(記憶も含む)・感情・感覚が分からないのだから完全に他人なのである。
この答えがないということは、自分という自我は宇宙最大の謎であるということだ。
・宇宙の果て
・宇宙の始まりと終わり(物質とエネルギーの由来)
・物質の小ささの果て
・自分という自我
これらは決して答えの出ることがない宇宙最大の謎なのである。
よって自我を保存するということは絶対に不可能だと言えよう。 >
対してコピー可能と考える者は、身体=感覚がまずあり感情や思考はそこから生成される従属現象でしかないから、身体のコピーが(実体だろうがシミュレーションだろうが)完全にできれば、思考はその身体から自然と出力されると考えている。
そしてその身体は同一時刻に同一地点に存在できないから、感覚に対する入力も違い、感覚が違えば思考・感情は違うものになるのは自明という考え方である。
>
そのコピーは自分ではなく他人にすぎない。
ただの物体としてのコピーであって、自我のコピーにはなっていない。
コピーというより、クローンである。 >>191
脳梗塞のあとでも自意識は変わらないのでその話は大げさすぎるよ。
多少違っていても自意識はさほど影響受けないでしょ。 >>191
というか、その別意識のコピー人間をつなげて同期させることができれば?って話でしょ。
その同期がマインドアップロードが実現できるかの根本であって、同期させられないなら別人のままなんだから終わる話。 身体が二つあったらあったで適応しちゃいそうな気もするけどね。 >>199
アップロードだけというのが肝だな
この話はダウンロードは考えられていない
脳を含んだ身体の正確なスナップショットが撮れて、ある程度機能するエミュレーション身体を与えてやれば
電脳空間で自分のコピーが生き続けることは可能かどうか、という話で、
元の人間がどうなろうか知った話ではない >>196
答えがないとかわからないとか言ってるが、それは成長途中の記憶付きのクローンそのものなんだから、
オリジナルに元の自意識の連続性は残るよ
クローン先には記憶情報はコピーされるから、上で出てきているようにベンジャミン・リベットとか、受動意識仮説の考え方に立てば同じような意識は宿る。
元の自我との連続性は記憶から感じるだろうけど、本質的には同じ記憶を持った別人でしかない。
だから電脳空間に意識をアップロードしたら、自分がやりそうなことをやるAIができるようなもんだな。たまに会話して喧嘩したりもできるかも。 >>202
アップロードすら現実的には考えられていないんじゃないの。
最初に殺しちゃって脳を保存するんでしょ? >>204
そういう企業もあるけど、この記事のMITの研究自体はそれに限定されないんじゃない 人間の意識も擬似的には作れることは既に証明されている
それを人間が「意識」と認めるかどうか、というだけの問題
人間のレベルに合わせてチューリングテストに合格するプログラムもすでに出現している
意識とは何か、を一意に定義できない限り話は進まん 意識についてせめてテンムーの話みたいに物理量で判断出来れば
もう少し議論の余地もあるんだろうけどね >>206
技術も識別理論も確立されているなら、あとは実践してみないとわからないかもね
物体の複製ならオリジナルと複製の境界はシンプルなんだけど
これが意識の複製となると、人権的な問題に合わせて所有権など資本主義的な都合も出てくるし、混成人格技術もできるだろうし
結果としては、技術的な観点より社会的な都合で意識(人格、自我)を定義される気がする >>202
そうであれば
自分の自我ではないよくできたAIということになる。
>>203
>元の自我との連続性は記憶から感じるだろうけど、本質的には同じ記憶を持った別人でしかない。
ネットワークで常時シンクロできていれば
まったく同じ自我が2つあることになるので
それは単一自我と同じことである。2つに差異がないからである。
そして、2つあることをまったく感じない。何もかも同じだからだ。
問題なのはネットワークを切ったときに
体も自我も差異がないAとBのどちらが自分になるのかが
不明であるということある。
大事なのは、AとBに違いがないということなのだ。 肉体は眠った状態で電脳空間で意識ある行動、いわゆる「VR」とれる環境構築できてからの話だな 思考(記憶含む)・感情・感覚をネットワークで常時シンクロさせれば
AとBの自我に違いはなくなり、2つの体で1つの自我という状態になる。
同じ自我が2つあるのは、実は1つしかないのとまったく同じであることに気づかなくてはならない。
この単一化した自我こそ自分を認識する心であり、ネットワークを切ったら
果たして自分を思う心はどこへ行くのか、AなのかBなのか論理的に不明となる。
AとBに差異がないからである。
このことをよく理解するのはさほど難しくないはずだ。 >>213
後援者の目的は大物と言える権力者や科学者の能力の継承だろうね
脳アップロードのコモディティ化を匂わすのも体のいい実験目的 クローンの私がオリジナルを超えるのだ
私がオリジナルだフハハハ 個人版のチューリング・テストがあったとしよう。個人Aを知人や家族がテストして本人と認識できるかというテストだ。そこで問われるのは人格と記憶になるだろう。
自我の連続性というのは意識を失ったり昏睡状態に陥ったりした後意識を取り戻しても、一時的に記憶喪失になった後記憶を取り戻しても連続性が保たれる。
しかし記憶喪失の間、「ここはどこ、私は誰」という状態はその連続性から切り離されている。
個人版チューリング・テストには合格できないだろう。
これは自我が記憶に依拠しているもので、記憶がなければ別人と言えるということではないのか。
また、毎日就寝時に我々は一度自我を失うが、目覚めたときに記憶を走査して連続性を(たぶんそうだろう)と曖昧なまま追認しているだけではないのか。 >>17
生体は超精密な機械だよ
生物は極めて高品質なロボットだとも言える シュタゲのステマ?
まぁ一作目は楽しめたしゼロも面白くなりそうだしステマの必要性皆無かw 人間と同じ複製品が創れると仮定して、人格と呼べるかの判断基準は共感性だと思うがね
まんまアンドロ羊の受け売りだが >>217
>
しかし記憶喪失の間、「ここはどこ、私は誰」という状態はその連続性から切り離されている。
個人版チューリング・テストには合格できないだろう。
これは自我が記憶に依拠しているもので、記憶がなければ別人と言えるということではないのか。
>
いやいや、とんでもない間違いである。
まったく分かっていないし、考察が浅すぎる。
その「私は誰」って時点でちゃんと自我が存在していることになるのだ。
記憶があろうがなかろうが関係ない。
もちろん記憶がなければ言葉も計算も何もかもできないが、生まれたばかりの赤ちゃんにだって
自我があるのは明白だろう。その生まれたばかりの赤ちゃんには明確な記憶などない。
おなかの中にいるときの外部からの音や振動などのノイズの記憶はあるが。
だから自我に必要なのは
思考・感情・感覚であって、経験した記憶が思考を発達させていくのだから
思考(記憶含む)・感情・感覚と書いてきたのだ。
思考の土台は記憶であり、両者一体である。分離して考えるのは大間違いである。 思考と感情はいうまでもないが、
痛いという感覚だけでもそれを感じるのは自分であり、自分だけしかいない。
痛みだけでも自分という自我の存在に気づくことができよう。 >>221
記憶と自我を分離させられないという根拠は?
人間の思考・判断は自我の介入以前に決定されているというのは実験で証明された事実であり、
自我・意識は介入という言葉も使いづらい、追認とでも言うしかない場面でしか行動プロセスに関わっていないのだが。
それを否定するなら、まずリベットの実験の反証からしてくれ。 >>214
たまにおばあちゃんのコピーをVMWareで走らせて知恵袋を拝借するのかな アップロードされた全てのおばあちゃんが融合してミニアカシックレコード化
蓄積されたあらゆる人智を駆使して孫に何かを食べさせようとする 素人的には記憶が脳に残ってる時点で可能だと思ってしまう
脳で映像として思い出せるということは映像として保存も可能だとも思ってしまう これはニューロン構造そのものに記憶が染み付き焼き付けられ再編成されるようなものなので、この観点に立てば構造を正確にエミュレートできるならばマインド・アップロードは可能だろう、と言える
ただ、演算のためには量子コンピューターが何世代が進化して、さらに測定技術が何十世代か進化しないと無理だろうな 国語の勉強をしっかりして言葉で思いを遺しましょう。 人間の脳をコンピュータのプログラムに変換するって事?
遺伝子が同じなら同じ人間、みたいな感じ >>231
記憶≒脳構造、活動状態なら電子的に再現できそう
理屈ではiPS細胞のように抽出、増幅、固定化できる気がしてきた 脳の仕組みなんて未だ良く分かってないのが大半なんだろ?
量子論的な振舞いもあるかも知れないし、
既知の電子理論での全容解明はたぶん無理。 イノセンスは幼女をゴーストダビングして愛玩セクサロイドを量産するマフィアと対決する物語 >>238
あの世界設定のミソは
完全なゴーストコピーは何故か出来ない、だからね!
コピーしてもそれぞれがちょっとずつ違う人格になる
同一ではないって事が測定できる≒意識の連属性の証明は出来る
ってだけでもファンタジ〜 今まで体験してきた中の時系列の前後関係が崩れないってのが不思議だわ。
精神疾患でなくても、中学卒業してから幼稚園に行った記憶を持つ人がいてもいいのに、
いままで聞いたことが無い。 >>236
電気的なニューロンネットワークだけでなく化学物質も関わっているかも的な話は出てきているらしい
量子論的云々は最近は下火だね
>>242
時系列は補強情報(自分の背の高さとか、友人の幼さとか)で推測してるだけなんじゃない?
幼い頃、祖父に連れて行ってもらった浅草が小学校入学前だったか後だったかは定かではないわ 臓器移植を受けた患者が体質変わったりする話はよく聞く
記憶の転移が可能かどうかはわからんが、臓器が放出する物質に影響されるのはありうる話だな >>243
量子論による説明は、単に人間の判断は曖昧だから、と言う程度の根拠だったし(多分)。
仮にそれが正しかったとして、自我の説明にはならないけど。 >>243
なるほど、推測で記憶がねじまがることはあるかも。 >>244
臓器からホルモン出てるしね
究極的には生物はホルモンの傀儡なんすよ 「記憶を移植」 米研究者らがアメフラシの遺伝子で成功
https://www.bbc.com/japanese/amp/44119676
意識は分からんけど記憶はいけるんかなあ >>240
お前はゴーストを与えられた人形の気持ちを考えたことはあるのか! >>249
実験自体は興味深いが、なんだろうこのモヤモヤ感
「紫の墨」という全く実験成果と関係ない事項がセクションタイトルになってたり、
「アメフラシに危害を加えてない」と強調するくだりとか。
BBCの頭がおかしいのか? ファイルをサーバーにアップロードするというのは、コピーをサーバー上に作ってるんだよ
別にオリジナルが消える訳じゃない >>249
アメフラシのRNAって遺伝子と言うか、mRNAとかtRNAのことだよね
http://physiology.jp/science-topic/5924/
ここにあるように、記憶・学習を促す機構にRNAが関わっているようで、
適切なシナプスに適切なmRNAを注入すると学習したのと同じ、あるいは学習しつつある状況を作り出せるのかも 刀で頭からお尻まで一瞬で切られた時に
右目と左目のどちらの景色が見えるのか 生命が死ぬ直前と直後で質量は変わらない
生命は情報であり連続的な情報エネルギーを維持させていればあらゆる人間を別の人間に移すことが可能 >>180
宇宙が有限でないなら必然的に自我の完全なる消失など起こり得ないということに全面的に賛成する。 >>180
>気づいたら別の惑星でまた生きている可能性大。
光速以上で何かが伝播するのか?
それとも死後の数万年経った時の話か?
可能性大というのは主観以外に根拠や妥当性はあるのか?
意識とは何かという話はあるけど
自我≒記憶≒生体の物質構造
なら分子レベルで再構築される時に自我は連続して引き継ぐことはない
自我が生体から剥離して存在できる物質的な構造体なら、伝播には常識範疇での時間が必要 突然自分の記憶が遠くの惑星で再現されるなら自分の経験になんのイミモないじゃんw
引きこもり無気力を生み出す有害宗教だ 宇宙が有限でないならお互いになんの情報も伝播しないほど慣れたところに全く同じ自我を持つ者が存在しうる。量子力学的にはどんなに小さい確率でもゼロでなければそれはいつか必ず起きると証明されている。
(たまたま偶然にどこかにそっくりさんがいるという事象の究極版といえる)
お互いがお互いの光円錐の外にいるのでこの場合、距離的あるいは時間的な隔たりという概念は意味をなさない。 >>265
それって、例えばおれが「265みたいな阿呆をぶん殴りてえ」って右拳を振るうと、265の顔面に拳を振るわれた衝撃が伝播する可能性を担保するってことだよな >>266
全く違う。
光円錐の外にあなたと同じ姿の人がいてたまたま同じ腕のスピードでたまたま同じ姿の人間を殴っている可能性があるということ。光円錐の外には何も伝播しない。 >>262
自我って連続しているように感じてるけど、実は連続してない
深酒すると吹っ飛ぶし、
毎晩シャットダウンしてる
実のところ、記憶と身体の状況を毎日毎秒、その瞬間に参照しながら再認識を続けてるだけだと思うの
なので、身体を完全にコピーできたら同じ自我が同じように「俺はオリジナルだ」と連続性を感じるという悲劇が起こるんじゃないかな >>267
そこは議論が分かれる。私は宇宙がたった一度きりの偶然の産物とはとても思えない。 死んだ後に別の宇宙で『死ぬ前と同じ自我を持つ』と思い込んでいる者がなんらかの形で復活する可能性はある。そして可能性が少しでもあるならそれはいつかどこかで必ず起きる。その者は偶然に死ぬ前と同じ姿かたちをしていて死ぬ前の記憶も持っているわけである。 換言すれば人間は死ぬ可能性があるからいつか必ず死ぬし、復活する可能性もあるからいつか必ず復活する。これは宇宙がなんらかの意味で無限であることが前提となる。 死んで復活することと、夜寝て朝起きることは大差ないのかもしれない。 我々が実用化しているコンピュータで自ら思考するプログラムすなわち自我を持つプログラムを作ることができるなら、その者の自我は用意に複数にコピーできる。 我々が現実と思っているこの目の前の世界が実はより高度な文明によって作られたコンピュータの中のシミュレーションであるという説がある。 量子コンピュータによる高度なシミュレーションは現実の世界と区別ができない(同義である)ことを証明した論文があるらしい。 高度文明の知的生命体がプログラムにダイブして
不幸ごっこや原始人ごっこを楽しんでるんだったら悪趣味だ 人間もまたナノマシンの集合体であって物理法則に従って動いているだけなのである。物理法則から逸脱するような動きは絶対にできない。自我や自意識も物理法則にしたがった結果の作用でしかない。それらをコンピュータでシミュレートできる可能性は大いにあると思われる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています