【古墳】「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県][03/20]
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赤村に巨大な前方後円墳−。こんな話が、地元住民の間やインターネット上でささやかれ始めている。
地元の古代史研究グループによると、現場の航空写真から鍵穴型丘陵の全長は約450メートル。
日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(堺市)の墳丘長に迫る大きさとあって、
古代史ファンからは「卑弥呼の墓では?」といった期待の声も聞かれる。
丘陵は同村の西端、内田小柳地区の雑木と竹に覆われた民有地で、
東側を平成筑豊鉄道と県道418号が南北に走る。
数年前から丘陵の形に着目してきた田川地域住民などでつくる「豊の国古代史研究会」の調査では、
後円部に当たる部分は直径約150メートル。
魏志倭人伝にある邪馬台国女王卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。
また、丘陵沿いの住民によると、東側にある後円部と前方部のくびれのような場所では、
タケノコ掘り中に土器片が多数発見。周濠(しゅうごう)の部分に当たる丘陵西側脇には、
以前から湿地が広がっていたという。
現在まで発掘調査はなされておらず、真偽は謎のまま。田川地域の自治体の文化財担当者らは一様に、
丘陵を「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定している。
画像:赤村内田にある前方後円墳のような地形(Google Earthより)
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_chikuhou/20180320/201803200002_000_m.jpg?1521493293
西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/402402/ >>694
倭人とは邪馬台国人の事に限定しているだけでなく、倭人という人種を示している
魏志倭人伝に書いてある通り倭人の国は邪馬台国以外にも存在した。 魏志倭人伝に書いてあるところによると倭人の国は30程度あるとなっているな
邪馬台国はその中の一国に過ぎない。といっても邪馬台国は比較的影響力のある立ち位置ではあったようだが >>698
魏志倭人伝に書いてあるところによると魏と通交している
倭人の国が30国だな
それ以外の国ももちろんあった 平均気温が2.3度高いとなると
関東でも雪は降らないし
それよりも南の九州は稲の自生には十分
何より世界最古の稲の化石が発見されてからの
稲作大陸伝来説は専門家から、ほぼ否定されている >>700
わざわざ30余りの中の小国=邪馬台国とするかな? >>701
日本最古の稲の化石なら見つかったが、世界最古は日本ではないな
世界最古は江西省の仙人洞遺跡の11000〜16000年前のもので、
そもそも大陸の稲と近縁関係にあるのだからいずれにせよ現代の地図上で遠く離れた箇所に伝搬したことを説明できないといけない
この伝搬が厄介で、現在の地図を見る限り朝鮮から伝わったとしか考えられないし、何十年か前までは朝鮮からの伝搬が確実視されていた
しかし米のDNA鑑定で中国から直接伝わった事が判明してしまった
米=熱帯の植物、大陸起源
なので、九州や西日本は稲作が始まった6000年程前には熱帯に存在したか、大陸と陸続きで繋がっていたか、大陸とごく近い距離(大陸と台湾程度の距離)にないと
DNAという確実な証拠に基づいた説を展開出来ない訳だな >>702
倭人の範囲がどこまでかわからないが
北海道、東北はのぞくとして
それ以外の日本列島には100以上のクニがあったはずだ
江戸時代だってあれだけの藩があるんだからな
で、魏と使訳通じてるクニがその中の30国
おそらく邪馬台国はその30国の中で最も大きいものだろう >>663
>当時揚子江付近から九州と頻繁に航海したっていうのは説得力ゼロのフィクションでしかない。
>江坂輝彌の話では、揚子江の河口の舟山群島あたりの漁師が魚を追って沖合いに出て、
対馬海流にのって、3,4時間もすれば、東北の方角に男女群島をのぞむことができるという。
また男女群島から五島までの距離も数時間で達する。したがって、昔の帆の付いた手漕ぎ船でも
十時間前後で五島列島に到着可能であるという。それは東シナ海を黒潮が、東北東にむかって
7〜8ノットの速さで流れているからである。中国と九州の西海岸とを結ぶルートは、
日本の先史古代の民族文化に、計り知れないくらいの大きな影響を与えたことが想像される。
甦る海上の道・日本と琉球 谷川健一 現代の地形での海流では揚子江付近から沖合に出ると黄海に行ってしまう。
http://www.bimitsuri.jp/item/images/4eils1.gif
http://www12.plala.or.jp/itaga/kaigan/r5.files/5.gif
>舟山群島あたりの漁師が魚を追って沖合いに出て、対馬海流にのって
舟山群島は揚子江にある
対馬海流というのは対馬や朝鮮付近の海流の事で、
文字通り受け取ると揚子江から対馬までワープしないといけない事になるので、用語を間違って使っているのかもしれないが
意味不明過ぎて解釈できないな
少なくとも現代では揚子江付近から海流(黒潮)に乗るには漂流レベルで沖合に出ないといけない >>708
漁師は種もみを所持していない事、
古地磁気の向きが現在と違う事、
古地図で日本列島の向きが回転して描かれている事、
蓬莱山(島)、
九州の地名が90度回転している事、
現在の地形では魏志倭人伝通りの位置は海洋になってしまう事
等が無ければその説でもよかったんだがね。 後は日本人の祖先のグループの一つに、太平洋のポリネシアン(ラピタ人)が居る事もそうだな
DNAだけでなく縄文土器に似た土器も出土している > (春から夏には「南西風と黒潮に乗る」、秋から冬の間は「寒流と西北風に乗る」という条件が揃えば、長江河口から日本列島にやってくることができたというわけである)。
> (山手元枝氏の経験談は現代のジャンクだから帆がついていたのだろう。古代人たちが、これと同じく東シナ海を20時間で渡ったというのではない)。
主な海流を見ると黄海に流されるとしか思えないが、100歩譲って↑を前提にして考えても、
揚子江から九州に行けるだけで九州から揚子江に戻る事が出来ない。だから揚子江の人々が九州の存在を知る事は無いし、移民もしない。
漁師は種もみを持っていないので米も伝搬しない。
中国南東部やチベット人と日本人はDNAで見ると無視できないレベルの関連性があって、漂流漁師が時々たどり着く程度ではこの関連性も説明できない。
従って海流で漂流漁師が九州にたどり着いたなんていうレベルの細い交流ではヒト・米の強い関連性を証明できないな。 >>703
すまん、日本最古だ、そして稲じゃなくて水田な日本には7000年前から既に水田があった
これは何を意味するかと言うと
稲は元々雨季と乾期がある亜熱帯で育つ植物で
古代の日本ではワニもいるナウマンゾウもいる
亜熱帯、そして稲は自生していた
水田は亜熱帯気候を人口的に演出する技術で
縄文人は気候が亜熱帯から温暖湿潤気候に変わって行くなかで長い年月をかけて自然と身に付けたもの
と考えるのが自然なんだよ >>712
その通り、日本では熱帯にしか居ない筈のゾウやワニの化石が多数出土している。
>水田は亜熱帯気候を人口的に演出する技術で
>縄文人は気候が亜熱帯から温暖湿潤気候に変わって行くなかで長い年月をかけて自然と身に付けたもの
>と考えるのが自然なんだよ
これも全くその通り。
だから、日本列島が6000年前から現在の位置にあったと考えるのが難しい訳だ
6000年前には日本列島は大陸と陸続きであったとかごく近い距離にあったと考えればこれらにも説明が付くことになる >>670
プレートが移動して北が南になったのではなくて、
磁北が移動したんじゃね?
今でも、北極点の位置と磁気が北を示す位置とは少しずれているし、
過去2000年間でも結構揺れ動いてる。
http://mage-p.org/rp-japan2k-j.html
完全に南北逆転まではいかないにしても、
今とまったく同じ方位とは思えないな。 >>716
>磁北が移動したんじゃね?
それはいわゆる地磁気のポールシフトである
北の磁極は頻繁に変動しているが、九州の地名90度ズレを引き起こすレベルではないな
そもそも方位は太陽との位置関係で見ていたようなので、その場合重要なのは磁極ではなく自転軸(磁極と自転軸はズレている)の方になる >>615おいおい6000年も前の話してんのかよ
でもなあ
6000年も前なら揚子江から難破船が漂流してきたとか
(北朝鮮のイカ釣り舟みたいに)
今の地図にはない島が途中に点在していたとか
(熊本の宇土半島は昔はもっと大きかったって資料ある)
あと渡り鳥が勝手に糞をして伝播した可能性もある
6000年あれば何でも出来るぞ
江戸時代から何百年でこんなに生活が変わるほうが
米伝播よりワンダーだわ ごめんなさい>>615でなくて>>715でした
でも>>715のワニっていたんだろうね
いなばの白兎伝説にはワニを海に並べてってなっているもんね
不思議だわ 縄文時代の丸木舟は丈夫なので対馬海峡や東シナ海を自由に航行していたことが遺物の分布から知られている 現代でいうワニの化石は数百万年前のものだし
北方系のナウマンゾウなら氷河時代にいたし
オカルト系の脳みその杜撰さには驚かさせられる >>>>722マジか。鮫だったとは
勉強したわありがとう
一つの遺跡が発掘されたら見解が180度変わるのが考古学の世界だから、稲作起源なんかは実際の所は全く分かってないんだよね
中国起源かもしれないし、日本起源と言う話もある。鹿児島で1万2000年前の稲の化石が見つかったって話を聞いたがあれはどうなったんだろ...
縄文人の太平洋横断、黒歯国=エクアドル説も
オカルト扱いされるのは残念だね、7300年前の鬼界カルデラ大噴火があったから
当時の住人は各地に散らばるのは
当たり前の事だと思うが >>720
>6000年も前なら揚子江から難破船が漂流してきたとか
>>711
>今の地図にはない島が途中に点在していたとか
それどころか日本列島の位置・向きが違ってる古地図もあるな
沖縄近海に沈んだ巨石遺跡もある
地殻変動があったのは確実だ
>渡り鳥が勝手に糞をして伝播した可能性もある
過去も日本列島が現在の緯度であった場合は気候が異なるので無理だな
糞に種もみが混じっていても日本は米本来の環境である熱帯気候ではないので繁殖しない
>>715
30万年前の化石としてワニは出土している
ワニは熱帯性で、海流に乗って移動する事は知られていないので、やはり日本列島は大陸と陸続きかつ緯度が低かった事実を示している
ゾウの化石もまた然り
古事記が書かれた時点ではたぶんもう居なかっただろうけどな
>>722
それ考古学的証拠は一切ないこじつけだよ
>>724
ゾウは熱帯性の動物だし、ワニの化石は30万年前と見積もられている
オカルト系の脳みその杜撰さには驚かさせられる
>>726
ポリネシアン、ラピタ人は日本人とはDNA鑑定で近縁関係にある
そして長距離航行の証拠は一切存在していない
この事実をうまく説明できる説以外は全部NGって事だけは確かだな
南北アメリカだけだったらやや不自然だがアラスカ経由の陸路説でもよかったんだが >>711
魏志倭人の位置については東を誤って南と記述した、てのが定説になっています。
>揚子江から九州に行けるだけで九州から揚子江に戻る事が出来ない。
だから揚子江の人々が九州の存在を知る事は無いし、移民もしない。
江南の海人をなめたらあかん。安曇族の先祖と言われている。
九州から揚子江に戻るには、対馬から朝鮮半島を経由したら、戻れるでしょう。
揚子江から朝鮮半島に到着した揚子江の人々も居て、そこで日本の情報を得た。
揚子江に戻る海人にそれを伝えて日本の情報が広まった。 >>729
>魏志倭人の位置については東を誤って南と記述した、てのが定説になっています。
そんな定説があるとしたら確実に間違っていてオカルトだね。
>九州から揚子江に戻るには、対馬から朝鮮半島を経由したら、戻れるでしょう。
現代でも徒歩では困難だな。
当時は朝鮮半島〜揚子江ルートには50km毎にモーテルでもあったのかな? 魏志倭人伝=中華思想に基づいた記述。
すべていい加減とは言わないが、当時のレッドクリフの戦い等を考えてみると倭国は南にあったほうが都合がいいのである。位置は中華思想に基づいたバイアスがかかっている。 >>730
徒歩で何て言ってませんが。
古語のワニとは現代語でいうサメのことだがな、を
考古学的証拠は一切ないこじつけだと決めつけるオカルト脳。
ググれ。
[ワニ・鰐]
古くは、出雲や隠岐島の方言でサメの大型の種類である鱶(フカ)や
撞木鮫(シュモクザメ)を「ワニ(和邇)」「ワニザメ」と呼んだとされる。 >>731
中華思想は緯度ではなく中国に近い方が偉いという思想。
>>732
徒歩じゃないとしたら何?車?バイク?オカルトだねぇ
>[ワニ・鰐]
>古くは、出雲や隠岐島の方言でサメの大型の種類である鱶(フカ)や
>撞木鮫(シュモクザメ)を「ワニ(和邇)」「ワニザメ」と呼んだとされる。
これがこじつけ、推測な訳。こじつけや推測の類を「証拠」と言ってしまうあたり、君はどうしようもないキチガイだって事は理解した >>734
方位や距離は交易にも関係するし、特に方位は日の出・日没の向きがあるので誤魔化しようがない
なので位置を捏造する事は考えられない
中華思想は「卑弥呼」「邪馬台国」のような侮蔑した当て字等に留まっていると見るべきだな >>736
当時は三国が争覇した時代、軍事的背景が第一とみるべき >>691
だから1000年とか2000年の単位で動くようなものじゃないって言うの。
人間の歴史くらいの時間では島の位置とか方向は変わらない。 >>738
それは単なる経験則に過ぎず、プレートテクニクスは大陸の高速移動が発生しない事を証明する理論ではないね
自説に都合のよいように他人の理論を捻じ曲げないように。
プレート移動はあくまで「自然現象」であり「人為的な制御」が行われている証拠はないし、
海の波だって穏やかな時もあれば大津波もある
常に一定速でしか動かないと言うなら「人為的な制御」が行われている証拠を提示しないといけないし、それはキチガイオカルトの領域のトンデモ論になる >>659
へー。DNA分析の比較してほしいわ。ありがとう。 >>661
コメがある地域を越えて来たからといって、航海ルートもその通りというのは無理がない?航海途中の土地で農業する必要性もないし、農耕文化が根付かなかった、或いは南北の緯度が違うため作物が生育しなかっただけかもしれないし。 >>742
全く無理はない
DNAの調査でそういう結果になっている
https://kids.gakken.co.jp/rekishi/news/0108_3.html
コメ伝来当時に台湾が現在の位置にあったならばまず台湾に伝わり、その後九州に伝わらないといけない。
台湾は日本統治前の時点でインディカ米とサトウキビの農業がおこなわれていたから根付かないとか農業する必要性が無いというのは否定される
また緯度的にも農耕に適していて作物は生育する 今頃発見されるなら、それは違うだろ
まったく、大切にされてないぞ 偉い人の墓なら、大切にされてますよね
誰の墓なのか解らないとか言語道断 >>743
ああ、スレ見返したけど、地殻変動前には直接来れるルートがあったはずと言う意見か。俺素人だから、色んな知識も無いけど、なるほどねーそんな説初めて知ったわ。 大きな古墳が見つかる度に卑弥呼の墓説が出るけど
卑弥呼が丁重に葬られたとは限らないでしょ。
だいたい呪術者とか預言者は、世の禍いの犠牲として殺されるのが運命。
卑弥呼もたぶんゴミのように捨てられているよ。 >>746
「定説」では様々な矛盾や破綻をしていて、
原因は考古学、地質学、生物学などが細分化されていて単独で全領域をカバーする研究者が居ないのが原因だな
考古学だけとか生物学だけで考えていてもわからない事だ 偉い人の墓が大切にされてるというイメージは素人の俺にも無い。色んな人の墓が地下に埋もれてたりするし、卑弥呼は大和朝廷とは関係ないかもしれないのだからなおさら。まあ、墓が出るたびに卑弥呼のかもというのは、研究者の妄想だとは思うけど >>715
陸続きだったのは2万年前で
6000年前頃になると気温もあがり
海面も上昇してるよ >>750
縄文海進のこと?時期も明確になってんの? >>751
6000年前にはピークを迎えてる頃だから
その頃に大陸と陸続きと言うのはありえないんだよね
だから米は朝鮮でも大陸伝来でもなく最初から
日本に自生していた
と考えるのが普通 >>752
しかし現在の緯度では米の本来の生育環境である熱帯でもないから自生は出来ないし、
米は大陸由来だとDNA調査で確定しているし、ゾウやワニの化石も発見されてしまっているんだよね
だからその普通の考えが完全に破綻している訳 >>753
破綻していない
日本は雨季と乾期もある亜熱帯だったんだから >>754
日本列島が亜熱帯である為には緯度が低くないといけないね
やっぱり破綻している
陸続きでなければ大陸由来のゾウもワニもコメも日本には届かないしね 6000年前っていうと、噴火による南九州の縄文文化の滅亡の千年後だね。農耕が始まったのは北部なのかな、南部なのかな? 米のDNA云々は起源前300年頃の
春愁時代に江南からの大移動があったからだね
その頃になると朝鮮など通らなくても日本までの船での移動は容易にできた、九州はもちろん中国地方、北陸など日本列島各地に江南人が稲を持ってたどり着き
稲作を広めた
これが現代の定説 >>756
大陸の一部が千切れて海上を移動しのちの西日本になる。
稲作は大陸の一部であった時期から開始されている。
東日本では青森周辺に水田の遺跡があるが、西日本よりかなり年代が遅れて3000年前程度のものだと言われているな
>>757
日本で稲作が開始されたのは6000年前
キミの説は一から十まで完全に破綻してるよ 直方じゃ可能性はない。直方に比定される国は投馬国。
奴国はその後内陸に発展して筑紫平野を範疇に納めた。
で、ストローのような御笠川の上流に太宰府があるが、
ここは山と山に扼された地峡で「山門」というようになった。
ここから奴国の発展した国を「やまと国」というようになった。
あくまで私見じゃ。 >>733
[ワニ・鰐]
>古くは、出雲や隠岐島の方言でサメの大型の種類である鱶(フカ)や
>撞木鮫(シュモクザメ)を「ワニ(和邇)」「ワニザメ」と呼んだとされる。
これがこじつけ、推測な訳。こじつけや推測の類を「証拠」と言ってしまうあたり
、君はどうしようもないキチガイだって事は理解した
こじつけ、推測ではない。ググり給え。調べろ。↑こいつは自分の説が絶対正しいと信じている
誇大妄想の精神障害の気がある、
キノジノ人だから信じないようにね。相手にしない方が良い、スレ潰しの糞。 >>760
何の物証も根拠も無く「ワニはサメだ」という方がキチガイなんだが
常識的に考えろ >>761
出雲や隠岐島の古代史専門家に言ってやれ。
お前はググるとか調べるとかしないのか? >>763
君は論理的に考えるという事を覚えるべきだね
全人類の過半数が支持しているから正しい!とか偉い人が言ってるから正しい!というのは科学ではなく宗教だ >>764
自分の事を言っているの?
自分が言っているから正しいとなw >>758
ぜんぜん破綻してないよ
日本で稲作が開始されたのは6000年前よりずっと以前
君は>>712で納得してたじゃないか
何を言い出すんだ突然?? >>765
俺と君のやりとりでは、君が根拠のないデタラメを主張して俺が根拠がない事を指摘しているだけだが。 >>767
6000年前に稲作が開始されていて、その遺跡から発見された炭化米のDNAが大陸由来だと判明している訳だ。
そこでなんで紀元前300年が出てくるんだ?滅茶苦茶言い過ぎだな
紀元前300年の出来事と稲作は全く関係がない >>768
まぁせいぜい独りよがりの根拠のないでたらめ電波をとばしてろ。
お前さんに同調する電波野郎が出てくるだろうから。
バカは死ななきゃ治らないからね。 >>770
カルト宗教信者にありがちな、論理的な反論ができなくなった後の人格攻撃だな。 >>769
君は勘違いしている
縄文人が稲作を始めたのは6000年前よりずっと以前だが、それはまだ小規模で
起源前300年の江南人の大移動から大規模的に稲作が日本列島各地に広まったんだよ
起源前300年に稲作を開始したとか言ってないだろ >>773
現在の地形であったならば江南人が移動する先は台湾だな
近代でも国民党は台湾に逃げ込んでいる
現在の地形では江南から九州への大移動は考えられない
海流から考えても距離から考えても非現実的だな 715
>だから、日本列島が6000年前から現在の位置にあったと考えるのが難しい訳だ
6000年前には日本列島は大陸と陸続きであったとかごく近い距離にあったと
↑
ここで完全に破綻してるのは君の方なんだ
と言うことが分かる
縄文海進の時期に陸続きとかありえないんだから、そしてその当時の日本の気候は今よりもずっと暖かい、緯度なんか関係無い >>775
いや全く。
大規模な地殻変動が無かったら説明のつかない事しかないのだが。 >>774
論理破綻
君はわざと6000年とか持ち出して
自分の支離滅裂をごまかすために撹乱してるだろ?
起源前300年の時点では江南人も縄文人も交易出来るぐらいに船の操縦技術は進んでたんだよ >>777
キミ、さっきまで「大移動」って書いてたよね?
なんで「交易」になってるの?
感情的なデタラメを書いても誰も納得しないぞ >>778
ん?
船を操縦していた事を
説明するのに
なんで交易って書いたらだめなの?
感情的?君がか? >>779
まず日本列島が古代から現在の位置にあったという決定的証拠を出さないといけないね。
次に稲が6000年前から既に西日本に存在したし、ワニやゾウの化石も出土している。
どうやって稲とワニとゾウが海を泳いできたのかも証明しないといけない。 あとは紀元前300年に江南人が大移動してきたなら、その前後で人種が入れ替わっていないといけないから、それも証明する必要があるね。
感情論でないならこれらの確実な証拠をすぐに提示できるはずだ。 >>780
ワニの化石は最終氷期以前の、ゾウの化石は最終氷期まで。
最終氷期には日本と大陸は海面低下により繋がっていた。
台湾はここ数百年以前にはマラリアの猖獗地で大航海時代のオランダ人や明朝の遺臣らさえいったん植民したもののマラリアで全滅している
また日清戦争後の併合の後に日本軍が山地を繰り返し掃討するまでは首狩り族が支配していて農耕民族が平地で広域に安定した社会を構築することは難しかった >>783
これは常識だが、ワニもゾウも熱帯性の生物であるから氷の上を移動する事は考えられないし、気温が低下したら全滅はしても長旅はしない。
そして現在の地形を見ると過去に大きな地殻変動があったのは確実である。
http://www.chinabaike.com/article/UploadPic/2007-2/200722017154729.jpg
そして台湾には首狩り族が居たが、緯度が近く大陸のす揚子江付近やその南部にはおらず、似たような首狩り族は大きく南のインドネシア、オセアニアにしか居ない。
台湾は現在の地形では大陸のごく近くであるから古代からその位置にあったのであれば人種も文化も大陸同様でないとけない。
しかし揚子江付近と文化、遺伝的に近いのは地図上で大きく北上した九州となる。 >>736
船の移動とかに方位磁針つかうだろうし、
八卦鏡つかうのに、
方位知るのは磁石使う方法じゃね?
と思ったけど、今のところ方位磁針の記述があるのは
wikiによると
11世紀の中国の沈括の『夢渓筆談』にその記述が現れるのが最初だとされる
ただ、
方位磁針相当の磁力を持った針を木片に埋め込んだ「指南魚」が
3世紀頃から中国国内で使われていたみたい。
北極星も、地軸の歳差運動で25,920年かけて、地軸がゆっくり動く。
そう考えると歳差運動の 2000/26000 ぐらいのズレはあると思う。 >>785
方位磁針の歴史がどれだけ遡るかは不明だが、
出土が少ない事から1000年以上前は少なくとも一般人には出回っていなかったとは言えるだろう
そしてそれ以前から伝統的に使われていたのは日時計だな
方位が狂っているのは魏志倭人伝だけでなく九州の方位90度ズレの例もある
そして日本では6000年前から農耕をしていたのだから磁力はどうでもよくて重要なのは太陽であるから、
太陽で方角を見ていたと考えるのが自然だな
つまりその土地から見て太陽の上る方向で方角を決定していたし、それが現在と90度程ずれている >>786
でも記録を残しているのは中国の方なので、
日本のやり方で記録していたわけではない。
とくに地図の書き方や、中国の都を作るうえで方位の決め方。
それとは別に、
北極星が地球の地軸の歳差運動でズレるという事は、
太陽の上る方向もずれていることになるんじゃないか? >>787
魏志倭人伝の情報源は不明な事が多いが、
中国人自ら邪馬台国に赴いたとしても倭人のガイドが居たと考えるのが自然だし、
そうでなければ倭人の説明をそのまま記録しただろうな。
地軸の傾きも歳差運動もあるが、現在も90度ズレる事は無いし邪馬台国の時代もそれほどズレていたという痕跡は見つかっていない。
九州の地名90度ズレの原因が地殻変動による西日本の回転ではなく、地軸の傾きが現在と違っていたのが原因だとすると、
過去には地軸自体が現在よりも90度傾いており現在の南極と北極は温暖な気候で他の地域が寒冷な極地だったことになるが、
現代の科学的分析では南極の氷は二千年以上からある事になっている。
そして古地磁気から見ると日本列島各地で現在と異なる向きになっているので島の向き自体が異なっていたと考えた方が遥かに自然だな。
聖徳太子の時代には聖徳太子が「日の出ずる国から〜」と書いており、この辺りから日本という国号が使われているから、
この時代には確実に現代と地形がほぼ同じでかつ地軸の向きも安定しているので、
魏志倭人伝からこの時代までの300年の間に一気に地軸が変わったとすると世界中に記録が残っている筈だな。 卑弥呼のいた時代、247年ごろまでなので、
3世紀半ばごろに使われ始めた指南魚。
なので、微妙か。
魏の時代(220年〜265)には指南車があったみたいです。
http://web2.nmns.edu.tw/Web-Title/china/A-1-5_display.htm
https://hajimete-sangokushi.com/2015/12/28/post-8431/2/
馬鈞が復活させたみたい。
指南車は機械仕掛けで、
最初に南を指す方向にセットしたら、同じ方向を指し示すもので、
元の方角計る方法に指南魚が使われていたら、ズレていたかもしれません。
あと地軸がずれていると、太陽が当たる面も傾くことになるので、
太陽風のエネルギーをうけ、地磁気が発生しているのなら、
地磁気の揺らぎも起きると思います。 >>789
地磁気の極と地軸は厳密にはズレていて同じではない
地軸が現在よりも90度ズレていたなら世界中に痕跡が残っている筈だが、そういうものも見たことはないな
朝鮮起源の古地図でも日本列島の向きは90度回転して描かれているが、大陸自体は現在の向きで描かれている
指南車は海上では使用できないし、魏志倭人伝中の倭国内の記述では険しい、獣道、草木が茂り前の人が見えない等と書かれているから
倭国内でも使用できないな。
また当時の人にとっては方位を間違える事はすなわち死に繋がるから、注意深く複数の方法(天体や太陽の向き)を組み合わせて決定して居たはずだな 発掘すれば決着する。
古墳説を主張する側は、
発掘費用をクラウドファンディングで調達して、さっさと発掘しろよ。
天皇稜墓は発掘できないのだから、
もしも、本当に日本最大級の古墳なら、超大発見ができるぞ。
グダグダ言っていないで、ネットで発掘資金の調達をはじめろよ。 >>790
中国国内は指南車などの測定できっちり地図が書けた
日本国内で書いたあやふやな地図を中国の地図に書き加えた
あやふやなのは、案内人無しで行けないようにして、
中国から直接攻め込ませない可能性もあるとは思う。
磁北の位置
http://mage-p.org/rp-japan2k-j.html
現在-8 3世紀ごろ+8ぐらい
だとして、現在と比べ約16度ぐらいの違いはあるとは思う。
ちなみに、500年ごろまでに、-7ぐらいになってるので、
なにか大きな変化があったのだと思う。
聖徳太子574年-622年
なので、磁北的には、いまと同じぐらいの方位。
中国の地図に
書き写す移す際に、磁気による方位を元にしたから、
今とは違う感じに思うのか、
それとも、実際に90度回転していたのかは、ちょっとわからん。
磁北の位置、日本の出土した土器とかを元にしてるみたいなので、
海外のデータが、あれば、地軸によるものなのか、
日本自体が回転してたのか、わかりそうな気がする。
あと、卑弥呼は、皆既日食が原因で男王に代わったみたいだから、
地軸の歳差運動や、方位の回転の事も計算にいれて、
皆既日食の見えた範囲を計算しなおしたら、
また違う結果になるんだろうか。 >>777
地文航法だな
海岸線に沿って進んだ
黄海まわり済州島→対馬→北九州か
台湾経由→琉球→種子島→鹿児島でも行ける >>792
様々な方面の遺物、文献、地質を総合すると西日本が大きく回転していると判断するのが合理的だが、
西日本は地球から見たら小さな島でしかないが他の地域になんらかの影響を及ぼしていてもおかしくない
ただ、古地磁気から見て、地球全体に影響が出る地軸90度変動というのは考えられないな。
>>793
その場合米やヒトのDNA、言語・文化の類似性は揚子江→朝鮮→日本又は揚子江→台湾→琉球→日本という具合にならないといけないが、
実際は揚子江→日本であり、日本統治前の台湾はインドネシア・オセアニアに類似した文化となっているし、説明が付かない事になる >>784
ナウマンゾウなど日本で最終氷期にいたゾウは北方系で北極圏にまで生息していた
数十万年前まではのちの日本列島になるフラグメントは熱帯性気候だった
どれもここ一万年という最近の話ではない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています