※滋賀県竜王町苗村神社では33年に1回行われる祭りがある。その時に、氏子の中の部落のものが兜鎧に身を固めて行列に参加する。この部落は農業を中心とした集落で、豊かな集落である。苗村神社ができた時の創建の由緒があるから、つまりその部落が神様を連れてきたという由緒である。

部落史研究はそこまで到達した。苗村神社の行列が続いてきたのは、だれもが創建の由緒を動かしがたい事実として知っていたし、事実として認めていた。ここに部落差別の本質を見いだすことができるのではないかと考えている。

神官の問題だが、祝(しゅく)と屠(と)という概念は、部落差別で極めて複雑で重要な問題だと考えている。

祝という行為は、神官が行う行為      →はふる
屠という行為は、動物を殺してまつる行為 →はふる

徳島県出身の喜田貞吉が述べた考え。二つの言葉は同じ「はふる」というのである。そこで二つの言葉は神主と関係しているのではないかと考えた。そして、「没落した神官論」を展開した。彼は二つは神主の行為ではないかと考えた。

大昔、屠という行為に対する尊崇の念があった。かつての吾々の祖先は血が滴る動物の肉を神に供えていた。喜田貞吉はそれが屠だと考えた。部落民の祖先は実はこの神官の子孫ではないかと考えたのである。

http://wwwd.pikara.ne.jp/masah/kdk032.htm