浦島太郎の意味がわからない
恩を仇で返される世の不条理を描いたんだろうか
まあ神話や昔話って本来理不尽なホラーが多いけど グリム童話も日本の神話や昔話も残酷で理不尽で怖い話が多くて
それを子供向けに健全にして教訓付きで変化していったのが桃太郎などの昔話 ◆浦島太郎は神仙譚
日本人のほぼ全員が浦島太郎という話を知っているにも関わらず
それがどういう話なのか理解していない輩が多すぎる。
まずはっきりしているのは、浦島太郎とは
中国に多く見られる「仙人」の話だという事だ。
浦島太郎の元になった話は漢文で書かれ
神仙思想が色濃くみられるからだ。
だから浦島太郎を知るには、
まず「仙人」とは何かを知らなければならない。 ◆三種類の仙人
「仙人」とは「僊人」ともいう。
晋の葛洪が317年に書いた『抱朴子』によると
仙人には3種類いる。
地上で修行している「地仙」、天上に昇った「天仙」、
体道者が肉体の死を迎えた時、
蛇の脱皮のように魂魄が死骸から脱け出し
後に肉体も消え、昇仙する「尸解仙」だ。
地仙になるものは300の善行を、
天仙になるためにはは1200の善行を積む必要があり、
1回でも悪事をすれば、御破算になるとされる。
だがこれらは仙人に憧れ、登仙したい者たちが
後世作った後付け設定にすぎない。 ◆神仙
これら仙人たちの上に立つのが「神」ないし「神仙」で
元始天尊、太上道君、太上老君、玉皇大帝、黄帝、九天玄女、
媽祖、西王母、嫦娥、関羽、鍾馗、雷公、北斗星君、南斗星君などなどがいる。
これらについても太古に崇拝されていた本物の神仙とは異なり
神格化された人間や自然や概念の象徴として作られたキャラクターたちが
後世になって続々とつけ足されたものにすぎず
本来の神仙の姿とは言い難い。
中国神話はヒンドゥー教・仏教やエジプト神話などと同じく
多くの伝説や民間信仰が混ざりこんで
ゴチャゴチャしてわかり辛いものになっている。
反面ユダヤ・キリスト教も混ぜて
全部ごっちゃにして比較するとシンプルでわかりやすい。 ◆仏教とキリスト教の階位
まずは仏教とキリスト教の比較から行う。
仏教の修行者の中でも中位の者が声聞 (しょうもん:シュラーヴァカ)だ。
仏弟子ともいわれる。
キリスト教でいえば十二使徒以外のイエスの弟子たちにあたる。
高位の修行者が阿羅漢 (パーリ語のアラハント)。
仏陀存命時の仏弟子がこれにあたるとされる。
キリスト教でいえば十二使徒にあたる。
修行者の中でも特に高位の存在が菩薩(ボーディ・サットヴァ)。
悟りを開く前の仏陀がこれにあたるとされる。
キリスト教でいえば修行中のイエスにあたる。
悟りを開き大涅槃に至った者が如来(タターガタ)。
仏教でいう仏陀、キリスト教でいうイエスにあたる。
両者はそれぞれ死後涅槃、天界といった世界に昇り永遠の存在になったとされる。
また元々この世に生まれ落ちる以前から
天上において高貴な存在として存在していたという設定になっている。 ◆明王
仏教のヒエラルキーでは最も高位に属するのが如来、次が菩薩、
その下が明王、その下にいるが天部(神々)としている。
これらは新興宗教でありカルトであった原始仏教が
現地のヒンドゥー教を蔑視し、自らを特別視するために作り上げた
架空のヒエラルキーにすぎない。
仏が神々より偉いというのは
ヒンドゥー教の実態を知らない上での妄論である。
明王(ヴィッドヤー・ラージャ)は
密教における最高仏尊である大日如来 (毘盧遮那仏:ヴァイローチャナ)
の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を
強引に帰依させようとする役割を担った荒ぶる仏尊たちを指す。
中でも特に有名な不動明王(アチャラナータ)は大日如来の化身でもある。
ユダヤ教でいえば唯一神ヤハウェが怒りを露わにして
人々に天変地異や病魔で天罰を下す荒ぶる姿エル・シャダイにあたる。
キリスト教でいえばヨハネの黙示録で
堕落しきった人々を、殺戮の天使たちととともに殺しまくる
再降臨したイエスに比類できる。 ◆キリスト教と仙人
仙人とユダヤ・キリスト教を比較していえば
地仙とはパプテスマのヨハネやエリシャあたりの
荒野で修行した預言者。
天仙は生きたまま天界に昇ったという
エノク、エリヤ、使徒ヨハネたちの預言者。
尸解仙は死後に遺体が消滅して天界に昇ったという
イエスやモーセたちの高位預言者。
そして神仙たちとは天界における神々や
それに従う天使たちという事になる。 目の前の快楽ばかり追い続けているとロクナコトないよ です 最後鶴になるんだよな
鶴亀でめでたいという話しだろ