>>119
ところが、そののち支那はそんな恩を仇で返すように、欧米になびいて共に反日(当時は「侮日」と表現されていた)に走る。
一方、タイは日本が特別何かしたわけでもないのに、終始日本の味方をしてくれた。
満洲国を作った時、国際聯盟は日本に満洲国の承認を撤回することを求める勧告案を出す。
この勧告はよく知られているように賛成四十二、反対一(日本)、棄権一で可決される。
ただ、棄権一がどこの国だったかはあまり知られていない。
これがシャム(今のタイ)だった。
タイは欧米列強に媚びず、リスクを覚悟して日本のために棄権票を投じてくれたのだ。

1941年1月6日タイは仏印植民地政府に宣戦し、二十個大隊をカンボジアとラオスに進攻させる。
いづれも、フランスがタイから奪った土地だ。