>>127
けれどこのとき、23名いた彼女たちは、18名に減っていました。
5名は、この銃撃で還らぬ人となったのです。

敵は草むらから、さかんに撃ってきました。

撃たれて死亡、自決、そして十人の看護婦が英国軍に保護されました。
重症の五人は、まもなくインドに送られて、日本人抑留所で赤十字看護婦として勤務させられ、
昭和21年7月に日本に復員することができました。

二人はラングーンの英国軍の収容所の中で、隠し持っていた青酸カリをあおって自決しました。

そのときの様子を、同じ収容所にいた田中博厚参謀が手記に残しています。