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彼女が堀婦長の腕に抱かれながら、臨終を迎える直前に語るには、派遣された看護婦達は、
看護の仕事ではなく、ソ連軍将校の『慰み者』にされているという。
『婦長さん!もう後から看護婦を送ってはいけません。お願いします』
という言葉を最後に、彼女は息絶えた。

>大島看護婦を葬った翌日の6月2日、ソ連軍にまだ派遣されていなかった22名の看護婦が命を絶った。

時間になっても、看護婦達が出勤してこないので、胸騒ぎを覚えた婦長が3階の看護質に駆け上がると、
22名の看護婦は、満州赤十字看護婦の制服制帽姿で二列に並んで死んでいた。