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ドイツ領当時、精力的で計画的なドイツ人は、新ギニア本群島を開拓する事に相当熱心であった。
伝道を行い、市街を建設し、農園の開設や、鉱山、漁業等にも力を注いだ。
されどこの地方の気候は、流石に勤勉精励なドイツ人にとっても決して快適ならず、且つ母国を距ること1万余哩、
その中間に一の進出基地も中継地も無い点で、英仏等に比しても著しく不利不便を免かれず、
手紙や新聞も半年もかかる此等の地方で雨水を飲んで苦闘しようとする者は少なく、結局大なる実績は挙らなかった。

濠洲に至っては労力と資本の不足から自分の本土すら持てあまして居る連中だから、
ただ最近慌てて濠洲本土防衛のために多少の軍施設に焦慮しただけで、
それ以外は統治受任国として申訳のための形を整えて居たに過ぎない。

之を吾が委任統治領における経済的発展と比較すれば、民族的無力があまりにも歴然と立証されて居る。