総督府が襲撃されて壁が無くなった途端
アメリカイギリスはシベリアから逃げた
残って赤軍と戦ったのは日本軍だけである

『尼港虐殺』
3月から5月にかけての共産パルチザン(リーダーはトリビーチン)による大虐殺

赤軍パルチザン本部入り口の看板
「1920年3月12日、この本部で11人の勇敢なパルチザン兵士が死亡した」

邦人734名を含む3000人以上が惨殺された

無辜の民を虐殺し川に捨てたおぞましき犯罪者らはロシアにとって英雄である