比残留日系2世の仲地リカルドさんと岸本ヤス子さん、父の故郷、沖縄県を訪問へ

今年、那覇家庭裁判所から就籍(戸籍取得)の許可がおりた日系2世(残留日本人)の仲地リカルドさん(83)=ルソン地方パラワン州=と岸本ヤス子さん(80)=ミンダナオ地方バシラン州=が26日から、父の故郷・沖縄県を訪れる。80代にして初めて実現する日本訪問を前に、2人は「しっかりと父の故郷を見てきたい」などと喜びを語った。
 訪問は、日本財団とNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC、東京都新宿区)が2006年から始めた日系2世の戸籍取得事業で実現した。同事業などによる戸籍取得者はこれまでに202人に上っている。日本訪問事業の実施は13回目。
 今回の訪問は5日間の予定で、29日には翁長雄志・沖縄県知事を表敬訪問する。
 仲地さんは、父・平次郎さんの出身地である本部町に親族が現在も住んでおり、空港で出迎えを受け、墓参りなどをする。8月、沖縄県の新聞などで平次郎さんについて情報提供を呼び掛けたところ、親族が名乗り出た。
 平次郎さんは1922年に漁師としてパラワン州に渡り、ブスアンガ島で比人女性と結婚。リカルドさんら7人の子どもをもうけた。太平洋戦争中は日本軍と行動を共にしたため、比ゲリラに銃殺されたという。
 仲地さんは「父は戦争を生き抜くよう私たちきょうだいに伝えた。父の故郷を83歳にしてやっと訪問できる。本当にうれしい」と笑顔を見せた。
 岸本さんの父・伊祐さんは1917年、ミンダナオ地方に渡りサンボアンガ市の工場などに勤務。戦争中はやはり日本軍と行動を共にし、行方不明になった。
 岸本さんは「戦後もきょうだいで父の行方を探した。父は本当に優しい人だった。今でも会いたい」と話す。父から教わった童謡「うさぎ」など日本の歌を今も覚えている。
 伊祐さんの弟は米ハワイへ移住、その親族は見つかっているが、伊祐さんの出身地である名護市周辺で親族は見つかっていない。それでも岸本さんは「もう年だから、日本を訪問できるとは思っていなかった。亡くなったきょうだいらを代表し、自分の目でしっかり父の故郷を見てきたい」と話した。
 比では現在も日系2世ら千人以上が戸籍取得や日本訪問を希望しており、当事者の高齢化が進む中、国からの支援など対応が急がれている。(冨田すみれ子)
 残留日系2世と就籍
 太平洋戦争前および戦争中にフィリピンに来た日本人の子で、戦後も比に残った人々を「残留日系2世」などと呼ぶ。日本人の父親が戦死したり、家族を残して帰国したため、戦後も比人の母親らとともに比で暮らしてきた。その中には戦中の混乱で戸籍に名前が記載されなかったケースが多い。就籍は戸籍の所在の分からない日本人を対象に、新たに本籍を設定して戸籍に名前を記載する制度。

まにら新聞
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