革命創始者の命日に寄せて
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Pars Today 2017年06月04日15時22分
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28年前の1989年6月4日、イスラム革命の創始者のホメイニー師が、努力にみちた、疲れを知らない87年の生涯を閉じました。 このことが伝えられると、イスラム世界に悲しみが広がりました。

ホメイニー師は1902年の9月に、イラン中部のホメインに生まれました。ホメイニー師の政治活動は、彼の研究活動と文化活動と同時期に始まりました。

イランの専制的な王政とアメリカのイラン干渉に対する、ホメイニー師の闘争は、1963年に高まりました。最終的にホメイニー師は王政によってトルコに、そしてその後イラクに追放されました。ホメイニー師は13年間の追放生活をイラクで過ごし、多くの弟子を育てると共に、王政の腐敗した本質や、アメリカの法に反したイランでの拡張主義を明らかにし、啓蒙主義的な発言を行って、イランのイスラム革命が勝利する下地を整えました。

最終的に、闘争が高まった後、ホメイニー師はフランスに移り住み、その後、イランに帰国して、1979年2月にイスラム革命が最終的な勝利を果たしました。イスラム革命の勝利後、イラン・イラク戦争など、大国や、革命の内外の敵の陰謀にもかかわらず、ホメイニー師はこの時期の困難な状況の中、イランの人々を勇気付け、導いたのです。

現代において、イランの人々はホメイニー師の命日ほどのつらい経験を味わったことはありません。彼らは偉大な指導者で、イスラム体制の創始者であるホメイニー師を失ったのです。この偉人は、イランの長い歴史に深い決定的な影響を与え、同時に人々の意志と彼らの宗教であるイスラムをイスラム体制という中で実現しました。

ホメイニー師は、イラン国民やすべてのイスラム教徒にとっての政治家だっただけでなく、偉大な宗教学者であり、人々の指導者であり、また簡素に生活し、抑圧や圧制と戦う人物だとされていました。このため、死後28年が経った今でも、人々の記憶の中で生きつづけています。

現在、世界には抑圧や不正がはびこっています。ホメイニー師の教えは、差別や侵害などに抵抗する必要性に基づいたものでした。ホメイニー師はイスラムを圧制者との戦いにとって、もっともよい動機だとしていました。なぜなら、イスラムの教えは、抑圧に反対しているのがはっきりとわかるからです。ホメイニー師は次のように語っています。

「我々の宗教の戒律は最も進んでいる戒律で、我々の道を決めてくれる。我々はこの戒律により、そして、預言者ムハンマドという偉大な指導者の導きの下で、我々の国を侵略しようとするすべての大国と戦う」

つまり、パフラヴィー朝政権と、そしてアメリカ、シオニスト政権イスラエルと戦うホメイニー師の闘争は、彼がイスラムの価値観を守っていることによって生まれました。抑圧を受けることが不当だとする価値観が、圧制との戦いを求めたのです。

ホメイニー師の明確な特性に、国内外の圧制者との戦いにおける、勇気と決断力を挙げることができます。この特性は、神に頼る精神によるもので、ホメイニー師のすべての行いに明確にうかがうことができます。ホメイニー師は次のコーランの節を深く信じており、口に出してました。

「信仰するものたちよ、もし神の宗教を助けるなら、それはあなた方をも助け、あなた方の歩みを力強いものにする」

このため、ホメイニー師はパフラヴィー王政との戦いの中で、決して失望することなく、アメリカの陰謀に立ち向かう中で決して恐れることはありませんでした。なぜなら、根本的な力は創造主の力で、創造主は自身と人々の支援者だと考えていたからです。大きな力の支えにより、世界の人々はアメリカの拡張主義者や国内の抑圧者に対抗するようになり、彼らの勝利は約束されていたのです。

ホメイニー師が神の次に頼っていたのは、人々でした。ホメイニー師は、人々が目覚め、団結すれば、どのような勢力であれ、彼らに抵抗することはできないと考えていました。ホメイニー師は、彼らが預言者ムハンマドの道に従うことは、最終的にはコーラン第48章アル・ファトフ章勝利の最後の節に当たるとして、次のように述べていました。

「預言者ムハンマドは神に遣わされた。彼と共にある人は、どんな不信心者に対しても、強くあり、彼ら自身の間では親切である」


つづく >>2-5