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【ゲームハード】任天堂vsソニー、「スーファミ」登場が新時代の幕開け “地上戦”で圧勝した任天堂が失冠した理由

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0001しじみ ★
垢版 |
2019/01/04(金) 20:08:36.03ID:CAP_USER
平成もついに最後の年となった。バブル崩壊後、日本経済は深刻な長期不況に陥ったが、発展著しい業界もある。その代表的なものがゲーム業界だ。ゲーム総合情報メディア「ファミ通」が発刊する「ファミ通ゲーム白書」によると、昭和から平成へと改元した1989年に約3500億円だったゲーム市場規模が、2017年には1兆5686億円。この30年の間に、実に約4.5倍に成長している。国内GDPの伸び具合がこの間1.3倍程度だったことを考えると、まさに平成は“ゲームの時代”と言えそうだ。AERAdot.では、その平成のゲーム30年史を、ハードを中心に3回に渡って特集。第1回は「スーパーファミコン」「ゲームボーイ」など平成初期を振り返る。

*  *  *
 遡ること平成元年に発売された「ゲームボーイ」(1989)から「ニンテンドースイッチ」(2017)まで、主に36のゲーム機本体が発売された。なお、この中には「メガCD」や「PlayStation VR」などの周辺機器や、「ゲームボーイライト」「PlayStation 4 Pro」といった派生機は含んでいないため、実際にはさらに多くのゲーム機が発売されていることにも触れておく。

 国内で実際にどのような変遷を辿っていったのか、まず据え置き型のゲーム機から見ていこう。

■複数の発売延期のすえ登場したスーパーファミコン

 昭和を代表するゲーム機が「ファミコン」だとすれば、平成の新時代の始まりを告げたゲーム機は、平成2年に発売された「スーパーファミコン」(1990、以下、スーファミ)だろう。初代「ファミコン」が1983年に登場して以来、家庭用ゲームというジャンルを確立し、5年以上にわたり牽引してきたが、87年にNECホームエレクトロニクス(当時、以下NECホーム)から「PCエンジン」が、また88年には初の家庭用16bit機として知られるセガの「メガドライブ」といった「次世代機」が登場すると、ファミコンの独壇場にも陰りが見え始める。そこで、こうした「次世代機」に対抗するため、「スーファミ」の開発が急がれることになった。

 だが、開発は順調には進まなかった。最初に「スーファミ」の概要が88年11月に発表され、発売を89年7月としていた。だが、半導体不足などを理由に発売が複数回延期され、実際に発売されたのは1990年11月21日と、実に正式発表から2年もかかっている。

スーファミは“難産”と言えたが、CPUはファミコンの8bitから16bitに、表示可能な色数はファミコンの52色から3万2768色と約630倍に大きく向上した。また、任天堂のゲーム機としては初めてAV端子を搭載。スーファミで初めて、ピンの形をしているRCA端子に触れた方もいるかもしれない。ソフトも「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」シリーズなど多くのヒット作にも恵まれたが、最終的な国内販売台数では1717万台で、ファミコンの1935万台に届かなかった。95年には周辺機器「サテラビュー」を発売し衛星データ放送の受信にも対応したが全く振るわず、記憶の片隅で眠っている人も多いだろう。

https://dot.asahi.com/S2000/upload/2018122800083_1.jpg

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AERA dot. (アエラドット)
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続く)
0002しじみ ★
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2019/01/04(金) 20:08:50.19ID:CAP_USER
続き)>>1
■スーファミの周辺機器になるはずだったプレイステーション

 スーファミ登場以降もグラフィックスの進化は留まることを知らず、ロムカセット形式は限界が見え始めていた。カセットの中に基板が入っている形式では、ソフトのデータ容量が増えるに従い値段がどうしても高くなっていってしまうからだ。例えば、スーファミと同時発売された「スーパーマリオワールド」は、定価が8000円もしていた。一方のファミコンの「スーパーマリオブラザーズ」の価格は4900円で、ざっと1.6倍も高い。

 さらに、94年に発売された「ファイナルファンタジーVI」では定価が1万1400円になり、子ども向けの主要タイトルでも1万円の大台を超えるようになる。一方のスーファミ本体の価格は96年に9800円に引き下げられ、本体よりもソフトの値段のほうが高くなる“逆転現象”が起こるようになる。

 こうした問題から、既に他社ゲーム機ではセガの「メガCD」やNECホームの「SUPER CD−ROM2」など、CD−ROM対応の周辺機器に移行しつつあった。CD−ROM形式であれば、カセット形式よりも大容量かつ安価で頒布できるようになる。だが、周辺機器だけで定価が5万円弱にのぼったことやデータの読み込みが遅いという問題も当時発生していた。

 スーファミもこうした動きを無視していたわけではなく、ソニーが開発するCD−ROM対応の周辺機器を検討していた。その名を「プレイステーション」と言う。価格は4万9800円を予定していたが、諸般の事情により頓挫した経緯があった。

すると、ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時、以下SCE)が動きを見せる。ゲーム機の独自展開を決定したのだ。こうして94年12月に登場したのが、「PlayStation」(以下、プレステ)であった。定価も3万9800円で、CD−ROM対応のゲーム機としては安かった。同時期にセガからは「セガサターン」(1994、以下、サターン)が4万4800円で発売される。この2機種は32bitのCPUを搭載し、新世代のゲーム機競争が勃発していくことになる。

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0005なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/04(金) 20:26:54.87ID:UwjOkODy
平成CS時代は任天堂 VS SONYだった訳だ

SONYもPS3で5千億を損害を出しても
まさか撤退しないとは任天堂も想像しな
勝っただろうなぁ
0006なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/04(金) 20:31:19.82ID:G8R85iHk
パラッパラッパー
0008なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/04(金) 23:44:13.60ID:uT7ME4Xh
スーファミ版プレイステーションは任天堂が一方的にソニーを裏切った印象が強いけど、
CDの規格を独自規格で強行しようとしたり、ソフトの生産権を独占しようとしたソニー側にも問題はあるんだぞ。
0009なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 00:09:30.34ID:RlV/5hVh
ウンコ臭い!ウンコ臭い!ウンコ臭い!ウンコ臭いぞ!おえ〜!
しょんべん臭い!しょんべん臭い!しょんべん臭いぞ!おえ〜!
任天堂は臭いクズ会社やな!ヘドが出るわ!日本の恥!あはは!
0010なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 00:35:31.28ID:YqrZx5og
ファミコンとディズニーランドが世に出た1983年は
アニメブームの本数的なピークでもあった
娯楽がどんどんと増えて来る
0013なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 07:11:14.98ID:IDKJ9B11
あの頃のゲーム業界は活気あったな
飯野賢治とか今何しているんだろう
0015なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 07:33:26.10ID:/KcI+gSb
任天堂に共同開発プロジェクトを裏切られた、当時は一技術者に過ぎなかった久多良木が
ソニーの役員会で大賀社長に、任天堂にコケにされたままでいいのかって訴えてゴーサイン出させた話ほんま好き
0017なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 08:02:21.85ID:/5K0sWBn
>>1
ぼったくりで嫌われてたからね。
任天堂のサイコパス社長。
0018なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 08:38:58.37ID:qdUAG62R
仮にSFC CD-ROMが発売されたとしても結局任天堂とソニーは袂を別つ結果になったのでは
どちらも旨味があるのに利益を分配し続けられる企業とは思えないし
0019なまえないよぉ〜
垢版 |
2019/01/05(土) 08:48:58.89ID:alx14Kv+
なんかSFCの紹介のしかたがネガティブっぽいんだけど、
まともなライバル機がセガmkV/マスターシステムしかなかったFCに比べ、
PCエンジンやメガドラに先行されながら覇権を奪還したSFCって、やっぱりすごかったと思う。
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