バーチャルYouTuber(VTuber)のキズナアイが、NHKの特設サイト「まるわかりノーベル賞2018」に登場し物議を醸しています。“性的に強調した描写”がなされたキャラクターをNHKが起用することに対し批判的なコメントをする人たちがいる一方で、キズナアイを擁護するコメントもあり、対立している状況です。詳しくは問題は「キズナアイ NHK」あたりで検索していただければと。

正直、「またか」と思いました。よくよく思えば「架空のキャラクターが性的だフンガフンガ」と真面目に議論してるのって、なんだかすごいなとも思うのです。ラノベ表紙ゾーニング問題なんかもあって、こうした萌えコンテンツに過敏になっているのもあるとは思いますけどね。

萌えコンテンツというのはいつだって不利な立場にありますが、日本のカルチャーを語るのに欠かせないKawaiiファクターでもあります。最近ではクッパ姫なるTS(トランスセクシャル)キャラがマレーシアから生まれ、「Kawaii文化が世界にも息づいてる、日本が消えてもKawaiiは残る!」的な話もありましたけど。

ともあれ、VTuberは爆発的に広がり、容姿的なアイデンティティに左右されない、もしくは逆に、特定の容姿であることを活かした表現(バーチャルナースだから病院っぽいノリにしたりとか)も増えてきました。それらはどんな形態であるにせよ、現実の人間とは違う架空のキャラです。でも一部分は確かに現実で、コメントをしたりイベントに行ったりして、架空の存在である彼ら/彼女らとコミュニケーションもできる。この次元を超えたような体験が、VTuberの持ち味なのは言うまでもなし。

そういった体験に価値が生まれ、やがて活動規模が大きくなればテレビや海外にも進出していき、多くの人の目に触れるわけで。萌えキャラなんて普段まったく目にしない人の目に飛び込んでくることもあるでしょう。そこで「こんなのが今はあるのかぁ」と思うのか、「なんじゃこりゃ!」と思うかは個人裁量として、VTuberがそこまで影響を与えるようになったかぁという感慨は、実際あるんです。

だってもともとは玄人趣味だったじゃないですか、VTuberって。キズナアイ親分がいて、のじゃロリさんのパワーワードがバズって、シロちゃんがE3に登場して、ミライアカリが芸人扱いされて、輝夜月がVRライブを実施して。VTuberが事務所に属するようになったと聞いたときは、まぁYouTuberだもんなと規模的納得がありましたけど、それでも、知る人ぞ知るの域だった気がします。

面倒なのは、知る人ぞ知るじゃない人たちの目にVTuberがさらされたときや、その萌えさを今更的に指摘されたときですよね。「VTuber」はそういうのじゃないんですよ。そう説明したところで難しいですしね。

でもこれ、そういった人たちは、しっかりと容姿を受け止めてるんだなというのが、感覚がマヒってる僕たちからしたら、むしろ新鮮なことでもある。そこが隔たりであり、古来より表現が戦ってきたところです。VTuberもそんな領域に来たのかぁと、そうした感慨深さです。

で、VTuberは架空であってなまじ架空じゃないからややこしい。そもそもキャラクターなんてのはすべて架空なんですけど、VTuberは中の人だったりシナリオがあったりするから、そのへんの狭間が面白く複雑なところであって。あれ、じゃあ全部AI任せのVTuberとかいたら、完全なバーチャルと言える?

大事なのは、今まで生身の人間がやっていたおもしろコンテンツを、非実在のキャラクターがやっていても楽しめるんだ、という点な気がします。人間らしいリアクションであれば、結局、容姿は重要じゃなかった。じゃあその容姿成分で、もっと遊んだり、新しいことをしていこう。最新技術とか盛り込んでいこう、と。

続きはソースで

https://youtu.be/q4cP--6Wyg8
https://assets.media-platform.com/gizmodo/dist/images/2018/10/04/181004_kizuna_ai_nhk-w1280.jpg

https://www.gizmodo.jp/2018/10/kizuna-ai-nhk.html