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あさのさんがMSVを描きたかった理由の一つが、ブームを作ったのが編集者の安井、
そして模型集団「ストリーム・ベース」と、20代の若い世代だったことだ。

「ミリタリーなどについてものすごい知識量を持っていたけれど、当時大学生だった人間の、
喫茶店で話して作ったような企画がなぜ大人気となったのか。そのミラクルを描きたかった」

著書の中ではMSVが生まれるきっかけに
現アニメ・特撮研究家の氷川竜介のアイディアがあったりと有名人の名前も飛び出し、
オタク文化の群像劇としても楽しめる。

もう一つ描きたかったのはガンダムの歴史におけるMSVの重要性だ。

劇場版3部作の最後となる「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙編」の公開と
「機動戦士Zガンダム」のスタートの間には3年の空白期間がある。

アニメがなかったこの期間、ガンダムの熱を保ったのがMSVだった。

「あそこでMSVがなかったら、おそらくはZガンダムもなかったし、ガンダムはそこで消えていたかもしれない。
ガンダムというビッグタイトルを俯瞰してみると、MSVはブリッジ。ものすごく重要なピースなんです」

MSVの軍事的に深堀りされた機体設定などはアニメの世界に深みを持たせた。

それらは「機動戦士ガンダム0083」「機動戦士ガンダム 08MS小隊」そして
「機動戦士ガンダムUC」へと色濃く繋がっていった。

あさのさんは2008年に模型雑誌でMSVの特集を企画。手応えを感じ、一冊の本にまとめたいと考えた。

書籍化するにあたり、2013年に話を持ち込んだのが、
MSVブームに関わった雑誌「模型情報」で編集長を務めていた加藤智さんだった。

あさのさんはデザイン専門学校生のころに加藤さんと知り合い、
その後あさのさんが原型師として美少女フィギュアの第一人者となると、取材対象と取材者として親交を深めた。

「加藤さんにMSVで本を作りたいと話をしたら、待ってましたという感じでした。
当時加藤さんは『キャラアニ』の社長。出版部門はありませんでしたが、
この企画だけは絶対に他人に任せたくないと版元はKADOKAWA、発行はキャラアニとトップ決断で決まりました」

すべての取材にも同行していた加藤さん。
バンダイに出版の最終許可を取った後、加藤さんから「近くにいいところがある」と隅田川沿いの店に誘われ、
酒を交わした。

「夕暮れでスカイツリーが綺麗に見えて。
『この本が出れば心置きなく死ねる。成仏できる』と加藤さんが言ったんです。
本を作る途中何度も言われていたから『また、その話ですか』と何度も言ったんですけど…」

2014年2月17日に加藤さんと打ち合わせした際、
「いつ書き上がる?」と加藤さんから聞かれ「2月いっぱい」と答えていたあさのさん。

1週間後、外出先で加藤さんの訃報を知る。後から、加藤さんはすい臓がんを隠して、取材に臨んでいたことを聞いた。

もう少しぼくの執筆ペースが早かったら、もしくは、この企画をもう少し早く持ち込んでいたら…。

本のあとがきには、あさのさんの忸怩たる思いが綴られている。

社長の肝入り企画だったMSV本は、加藤さんの死により状況が変わり、出版が難航。

別の出版社に持ち込むも再びトラブルに遭い、太田出版に持ち込んだのが2年前の9月だった。

仕切り直しとなったMSV本だが、
元々バンダイの社員でMSVの当事者でもあった加藤さんの後ろ盾がないこともあり、出版は困難を極めた。

編集を担当した太田出版の林和弘さんによれば「この本が出版できたこと自体が奇跡」と言うほどの難産の末に、
今年ついに出版に漕ぎ着けた。

雑誌特集から約10年、加藤さんの死から4年の歳月が経っていた。

様々な思いが込められ、出版された『MSVジェネレーション』。
MSVというものを語ることと同じくらい、ある強い気持ちが込められている。

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続く)