聞き手・鈴木康朗2018年2月28日11時15分

写真・図版
 プリキュア初代プロデューサーの鷲尾天さん=東京都中野区

 3月8日は、国連が定めた「国際女性デー」です。男女格差が大きいとされる日本を、次代を担う若い人たち、とりわけ女の子たちが性別にとらわれず生きることができる社会に――。
人気アニメ「プリキュア」シリーズの初代プロデューサーの鷲尾天さんは、「女の子が、自分たちの足で地に立つことが一番」と語ります。
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 女の子向けのアニメをやってくれ、と会社に言われて「無理無理。女の子の気持ちもわからないのに」って思いました。でも、チャレンジするしかありませんでした。

 企画書に書いたコンセプトは「女の子だって暴れたい!」です。それまでの女の子向けアニメは「魔法もの」が多くて、アクションがあまりないなと思っていました。
「絶対に格好いいんだけどなあ。よし、それを形にしちゃえ」と。普通の少女が変身して敵と戦う「プリキュア」が、こうして生まれました。

 初代プリキュアは2人組です。イメージしたのは、映画「48時間」や「ダーティハリー」、テレビドラマの「トミーとマツ」。東映アニメーションに転職する前は、あまりアニメを見ていませんでしたから、モデルとして浮かんだのは実写でした。

 入社前は、地元の秋田朝日放送で報道記者をやったり、ドキュメンタリーを制作したりしていました。映像制作の面白さを感じて、より多くの人に見てもらうものを東京で作ろうと、東映アニメーションの中途採用に応募したんです。
最終面接で「アニメについて何も知らないのですが、いいんですか」と聞くと、当時の部長は「その方がいいんだ」。業界の外にいる人の考えを採り入れようということだったみたいです。

 修業期間を経てアニメのプロデューサーになって、「金田一少年の事件簿」や「キン肉マンU世」などを手がけました。まあ、基本的に男の子向けですよね。
小さな女の子向けで、しかも原作がないというのも初めてだったのが、プリキュアでした。

     ===== 後略 =====
全文は下記URLで

https://www.asahi.com/articles/ASL2W65XCL2WUTIL04V.html

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 わしお・たかし 1965年生まれ。秋田県出身。秋田朝日放送などを経て、98年に東映アニメーションに入社。「釣りバカ日誌」や「キン肉マンU世」などをプロデュース。
2004年に放送が始まった「ふたりはプリキュア」以来、プリキュアシリーズのプロデューサーを5年連続で務めた。現在は東映アニメーション執行役員。