>>10
三日分しか用意されなかった糧食はそれ以降は基本敵から奪うか現地調達
それこそ作戦開始直後は牟田口の指示で現地の集落から牛を大量に召し上げて物資の移動輸送兼食用にするつもりであったが最初の難関チンドウィン河を渡る際に大半が流された
それでも任務に忠実な帝国兵士達はやっとの思いで峻険なアラカン山系を抜けインパールやコヒマに迫るが三ヶ月が過ぎ豊富な物量を誇る英軍を相手に作戦の継続は不可能と判断
また元来た道を撤退する事になるのだが既に水も食料も涸渇しており途中生水を飲んでアメーバ赤痢にかかる者、行き倒れとなった仲間の日本兵をバラしてカニバリズムに走る者など撤退戦は凄惨を極めた
日本兵が撤退していった道は兵達は皮肉を込めて白骨街道と呼んで呪ったと言う
牟田口らが日本に帰国した数週間後の話である