中国麻雀には、ローカルではあったが第1打牌による聴牌宣言(日本でいうダブル立直)は存在した。しかしゲーム途中における聴牌宣言は存在しない。すなわち立直は放銃一人払い・振り聴ルールとともに、日本麻雀の特徴的なルールである。
 揺籃期の先人の一人、司忠(つかさただし)も、「立直は中国麻雀の南方役であった。第1打牌で聴牌を宣言するのであるが、第1ツモ牌と手牌の入れ替えは不可であった」と述べている(「麻雀戯法」(s3・大阪日々新聞社刊)。この中国麻雀における立直(日本でいうダブル立直)が、日本麻雀における立直(途中立直)のルーツである事はいうまでもない。
 ではこの中国麻雀の立直が、いつごろ途中立直に変化したのであろうか。同じく揺籃期の先人、三島康夫(みしまやすお)は「途中立直はすでに昭和7〜8年頃、京都で行われていた」と述べている(「途中立直の起源」(日雀連機関紙「麻雀タイムズ」第10号(S24/2:20))。
この論にしたがい、かつ誕生から京都で行われるまでの普及時間を1〜2年と考えれば、途中立直の誕生は昭和5〜6年と言う事になる。また麻雀伝来(大正中期)時点から昭和5年までの経過を考えても、一般麻雀で新規ルールが誕生する環境がそれ以前にあったとは考えにくい。となれば途中立直の誕生は昭和5〜6年と推測される。じっさいこの時期は放銃一人払いのルールの登場と軌を一にしている。