産経抄 5月18日

 日清戦争の帰還兵に対する大規模な検疫事業についてはすでに書いた。戦地ではコレラが大流行しており、国内での蔓延(まんえん)が危惧されていた。陸軍次官の児玉源太郎から全権を委任された後藤新平は、2カ月間の突貫工事で広島沖の似島(にのしま)に世界最大級の検疫所を開設する。

 ▼ここでもう一人、日清戦争で野戦衛生長官を務めた石黒忠悳(ただのり)という人物を紹介したい。そもそも大がかりな検疫所の設置を発案したのは、石黒だった。早くから後藤の才能を見いだし、事業を任せるよう児玉に進言したのも石黒である。

 ▼陸軍軍医として、森鴎外の上司だったこともある。日本最初の女性の医師となった荻野吟子の後援者の一人としても知られる。多くの逸話を持つ人物だが、何より特筆すべきは、わが国の軍医制度の創設に尽くした功績だろう。

 ▼政府が東京と大阪に設ける新型コロナウイルスワクチンの大規模接種センターの予約受け付けが、昨日から始まった。接種を行うのは、医師や看護師の資格を持つ、自衛隊の「医官」や「看護官」らである。医官は一般の軍隊では軍医に当たる。

 ▼明治28年から翌年にかけて、1年足らずの間に似島で検疫を終えた兵士は9万6千人にも上った。石黒が報告書をドイツ語に翻訳したことで、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の知るところとなり絶賛される。

 ▼新型コロナのワクチンでは、開発から入手まで、すべての面で日本は出遅れた。接種率では先進国の間で最低の水準に甘んじている。菅義偉首相は、接種のスピードを上げるため「1日100万回」の目標を掲げる。自衛隊が運営する大規模接種センターと各自治体による地域の実情に合わせた取り組みにより、再び世界をあっと言わせることができるだろうか。