産経抄 5月17日

 子供のころ、近所の人から動物園長と呼ばれていた。兵庫県篠山町(現・丹波篠山市)の生家では、馬や犬、ニワトリを飼っていた。歯科医師の父親は、子供たちに世話をさせることで、労働の喜びを教えようとしたらしい。

 ▼6人兄弟の3番目だった河合雅雄さんは、それだけでは飽き足らなかった。モルモット、カジカガエル、カナヘビなど、飼育した動物を数え上げればきりがない。昆虫採集や川での魚捕りにも夢中だった。後に動物学を志す原点となった。

 ▼研究対象にサルを選んだ理由はなんだろう。サル学は正しくは、霊長類学という。かつて「霊魂を研究してるんですか」と真顔で問われて閉口したこともある。動物学では、サル類と人類の両方を含めて、研究対象としている。先の戦争中、河合さんは、病のため自宅で療養生活を送っていた。なぜ、戦争が起こるのか。人間の悪について考える毎日だった。サルから人間への進化の過程を明らかにすることで、その正体をつかもうとしたのだという。

 ▼河合さんの人生は、病との闘いの連続だった。小学3年生の時に小児結核に、旧制中学時代は肋膜(ろくまく)炎を患った。京大を卒業するまで、満足に学校に通えたのは2年間ほどだ。研究者になってからも、アフリカでフィールドワーク中に、日本人では初めてという2つの風土病に襲われている。

 ▼とても50歳までは生きられない、と覚悟を決めていた。ところが50を過ぎてジャングルを歩きまわっていると、突然健康への自信がわいてきた。「ひょっとして、このまま死なへんのとちゃうか」。河合さんがよく口にした冗談である。

 ▼20年前に戻ってきた故郷の自宅で、97歳の大往生を遂げた。前日まで夫人と買い物に出かけていたという。