6月11日(木)朝日新聞東京版朝刊文化面・與那覇潤の歴史なき時代

ゴジラより怖い敵とは

「シン・ゴジラ」という特撮映画としては超一級で、政治ドラマは二流の作品がある。
一種のクーデターものなのだが、主人公(内閣官房副長官)が自分では決起できず、
ゴジラに閣僚を全滅させてもらった「棚ぼた」で実権を握る展開には、劇場で
ずっこけた。

周知のとおり、同作のゴジラは東日本大震災と、福島第一原発事故の擬人化である。
昭和の元祖ゴジラが原水爆の隠喩だったことに倣ったものだが、どうもそこに罠が
あったらしい。

敵国が落とす爆弾や、来襲する怪獣に対してなら、人々は自然と「国民」という
共同体に結集して立ちむかう。国のリーダーが頼りないなら、実力行使をしてでも
すげ替えるだろう。

しかし近日のコロナ危機で生じたのは、異なる事態だった。社会的な連帯など顧みず、
自宅に生活物資を買いだめることしか考えないバラバラの個人が、「全権掌握による
強い統治を」と為政者に叫ぶ。

もし私がクーデターを謀る青年将校なら、もう三島由紀夫のように「日本人」に
向けては訴えない。架空のバイオテロを企画し、行政に食い込むエゴ丸出しの
コンサルやインフルエンサーに噂の拡散を依頼する。それで「強権統治」を望む声は
十分湧き上がるのだ。

私たちは個人の尊重の果てに、セキュリティーのためなら人権を叩き売りかねない
逆説を生きている。危機の後もそれを、忘れずに語り継ぎたい。

(歴史学者)