>>167
(続き)

Xらのしていることはおかしいのではないかといぶかる者がいなかったわけではない。
けれども、それらの人々の多くは、繰り返される同種の事態に感覚を鈍麻させられ、
口をつぐんでいた。

そうした時代が長く続いていたある時、「空気」を読まない一人の馬鹿者が人々の前に
進み出て、満場に轟く声で言い放った。「法ができないと言っていることを、法を
変えもしないでできることにするなんて、いかさまじゃないか」

アンデルセンの童話「はだかの王様」は、美しい布を織っていると偽って、空の
機織り機に向かっていた詐欺師の言葉を、大臣も、側近も、嘘だと言えなかったために、
王が市中を何も身に着けずに行進する羽目になった物語である。沿道の子どもが
「王様は何も着ていない」と言ったのをきっかけに、ようやく王は、我が身に起こった
ことの意味を理解する。

さる国のお伽話は、この「はだかの王様」によく似ている。だが、二つの物語には
重要な違いがある。それは、「はだかの王様」の哀れな王と違い、このお伽話のXは、
Aとぐるだったという点である。

「王様は何も着ていない」という言葉が効果を持つのは、王が騙されている場合である。
詐欺師と通じ、わかってやっている者には、「いかさまじゃないか」という告発の
言葉は少しも響かない。告発を意にも介さなかったその国の政治の最高責任者は、
同国の歴史上稀なことに、7年半にわたり、その地位にとどまったという。

(続く)