産経抄 2月16日

 紅灯の華やかな街で、酔漢同士の取っ組み合いを見たことがある。片方がもう一方の上になり、何かを相手の鼻面に投げつけた。自分の名刺らしい。律義なことに、社名と役職まで名乗ったご仁はさらに畳みかけた。「お前、名刺を出してみろ」。

 ▼気炎を吐いた人は、当方より一回りは上だったろう。酔態はもとより、けんかで肩書をたのむ不作法に閉口した覚えがある。「ああいう大人にはなりたくないな」と鼻白む友人に相づちを打ち、その場から退散した。社会に出て間もない頃で、30年近くも前になる。

 ▼立派な肩書を刷った名刺も、効き目は在職の間でしかない。定年後の再雇用を機に後輩と立場が入れ替わり、職場でいらいらを募らせる人も多いと聞く。精神科医の保坂隆さんによると、「生涯現役」の思いが強い人ほど望みが絶たれたときの失意は大きいらしい。

 ▼連れ合いに先立たれ、一人で長い老後を送る人も増えた。孤独との付き合い方を説く指南本が売れるのは、人生100年時代に欠かせない処世術だからだろう。保坂さんの近著『精神科医が教える60歳からの人生を楽しむ孤独力』(だいわ文庫)もその一つである。

 ▼「生涯現役」への執着を捨てれば楽になる。健康のために、お金より「歩数を稼ぐ仕事」を。「いまさら」ではなく「いまから」−。肩の凝らない老い方指南が楽しい。登山と同じで、人生の山坂も上りより下りの苦労が多い。指針が求められるゆえんであろう。

 ▼89歳まで生きた歌人の窪田空穂が、晩年に詠んだ一首がある。〈ともすれば若き身力還り来む目覚めしのちの夢のごとくに〉。年の取り方は人それぞれ、肩書も名刺も老いの道を探す旅の切符にはならない。だからこそ難しく、楽しむ余地もある。