産経抄 1月26日

 戦場で極限状態に置かれた兵士が取る行動は、砲弾が地面に開けて間もない穴に身を隠すことという。

 ▼〈大砲の玉というものは、二度と同じ穴に墜ちることはめったにない〉。第一次大戦を一兵卒の視点で描いた『西部戦線異状なし』(レマルク著、秦豊吉訳)の一節にある。
一理あるように思えるものの、主人公はやがて迷信にすぎないと気づくことになる。砲弾の雨、銃弾の嵐から生きて逃れるのは〈偶然あるのみだ〉と。

 ▼砲弾が同じ場所に落ちる確率の高低はともかく、落ちない保証はどこにもない。それは自然災害にも言えることで、いつかは襲ってくる。
戦場と異なるのは、危険度が前もって数値で示され、備えが利くことだろう。南海トラフ地震に伴う高さ3メートル以上の大津波が、今後30年以内に太平洋沿岸に寄せる確率は「非常に高い」とした政府の発表である。

 ▼東海や九州などの71市区町村は、「26%以上」との危険度が示された。これは「100年に1回」発生する事象だという。子や孫の世代までに、いつ来ても不思議はない。
そんな警鐘と読める。最大34メートル超の津波の恐れを示した8年前の政府の被害想定は、防災を足踏みさせる面もあった。人知を超えた数値を前に、対策をあきらめた自治体もある。

 ▼さりとて今回の「26%以上」という数字に差し迫った危機を感じるのも難しい。茫洋(ぼうよう)とした数値を防災計画にどう反映させるか、ピンとこない自治体もあるという。
確率が低いとされた地域に、安心感が生まれるのも怖い。避難行動の目安にするのは禁物だろう。地震は将来必ず起こる。次の一手は「とにかく逃げる」に尽きよう。

 ▼わが身を救うのは、確率論でも迷信にすがることでもない。偶然に身を委ねるなど論外である。