2月12日(水)朝日新聞東京版夕刊3面

権力に屈せず意見言い続けたヒーロー   柳広司さん「太平洋食堂」

『ジョーカー・ゲーム』などで知られる作家の柳広司さんが2年半ぶりの長編小説
『太平洋食堂』(小学館)を出した。明治時代の大逆事件に連座して刑死した医師の
大石誠之助(1867〜1911)が主人公だ。埋もれた歴史や現代日本にも通じる
国家権力の危うさに光を当てた。

日露戦争まっただ中の1904年、紀州・新宮に一軒の食堂「太平洋食堂」が
開店した。主人は「ドクトル(毒取る)」と地元の人に慕われた大石誠之助。
米国留学の経験があり、非戦論や公娼廃止を唱え、貧しい人を無料で診断する
かたわら新聞などに寄稿した。リアリストである誠之助は、幸徳秋水、堺利彦らと
交流を深めたことで、「主義者」として国家に監視されるようになる。

誠之助は国家権力によるでっち上げで死んだ。適用されたのは、当時の刑法にあった
大逆罪。柳さんは、2017年施行の「共謀罪」法との類似点を指摘する。「刑法は
過去に起きたものに対して適用されるはずなのに、未来形の段階で罪に踏み込むと
どうなるのか。エンタメ小説を読んだ副産物として、考えてもらえれば」

作中、「大逆事件」という言葉は使っていない。事件関係者とラベルを貼ることで、
特殊な世界に見えてしまう懸念からだ。誠之助は、目の前の飢えた母子を真っ先に
考え、意見し続けた。その姿は哲学者のソクラテスと「似ている」と柳さん。
両者とも若者たちに持論を説き、国家の転覆や革命を志していなかったにもかかわらず
処刑された。そんな誠之助を「ヒーロー像として提示したかった」と語った。