8月5日(月)朝日新聞東京版朝刊総合2面・ひと

「三鷹事件」を目撃した元新聞記者  堀越作治さん(89)

一橋大の学生だった1949年、戦後の「国鉄3大ミステリー」の一つ、三鷹事件に
出くわした。

東京・三鷹駅のホームで、減速せず突っ込んで来る電車を目撃。「ガタガタドタンと
大音響とともに砂ぼこりが舞い、あとは阿鼻叫喚の巷ですよ」。慌てて飛び降り、
電車の下に手をさしのべると生存者がいた。すると米軍のMP(憲兵)が突然現れ、
「ノーノ―、ゲラウェイ(出ていけ)」と有無を言わさず、追い出された。

「十数分後には来たんだ。だから最初から臭いんだよ」

折しも国鉄の大規模な人員整理が進められる最中。米ソ冷戦が進み、米国は「日本を
反共の防波堤にする」と宣言していた。三鷹事件は大量解雇に反対する共産党の仕業と
され、10人が逮捕された。だが、9人は無罪に。「あの事件は共産党弾圧の口実だよ」

中学1年から欠かさぬ日記には「まさに眼前に見た」と事件を記した。その後、
朝日新聞社で政治記者として鳴らした。日記の価値を身をもって知るため、佐藤栄作
元首相が日記をつける習慣があると知って彼の日記を掘り起こし、出版にこぎつけた。

退社後、事件を語り継ぐ会の代表世話人に就いた。獄死した死刑囚の再審請求に
かかわったが、裁判所に先日退けられた。「期待していただけにがっかり」。
それでも事件の真相を探る取材を進める。