産経抄 4月1日

 昨夜遅く、ついに新元号が、わかった。「いろいろと苦労しているようだから、これくらい教えてあげよう」と、取材で懇意になったある人が、そっと機密情報を漏らしてくれたのだ。さっそく、読者のみなさんにお知らせしよう。

 ▼と思ったら目が覚めた。きょうは、4月1日(エープリルフール)である。第一、日頃苦労しているとは言いがたい抄子に、そんな大事な情報を漏らしてくれるご仁なぞいるはずもない。

 ▼夢にウソをつかれたら記者稼業もおしまいだが、平成があと1カ月弱で終わるのは、まぎれもない事実である。乱発気味の「平成最後の」という、うたい文句が使えるのもいよいよ、あとわずかである。

 ▼実は元号は、存亡の機に立たされた時期があった。大正、昭和は旧皇室典範の規定によって定められたが、敗戦によって旧典範が廃止され、昭和54年に元号法が成立するまで、元号は法律的根拠がなかった。
この法的不備をつく形で昭和40年代ごろから「元号不要論」が左翼陣営を中心にわき上がったのである。

 ▼新聞も左からの波に揺さぶられた。ほとんどの新聞は、戦後も長く元号を主に使っていたのだが、昭和51年元日を期して朝日新聞が、何の説明もなく西暦を主、元号を従として扱うようになり、昭和の終わりにはほとんどの新聞が右へ(いや左へ)ならえした。

 ▼いまだに元号を主、西暦を従としているのは小紙くらいになってしまった。確かに元号を西暦に換算するのはややこしく、面倒でもある。しかし、元号は世界で唯一の文化遺産である。
この機会に公文書を西暦で統一しよう、という人がいたら眉につばした方がいい。ちなみに新元号になっても小紙の方針は変わらない。これは本当である。念のため。