7月19日付東京本社版
死刑存続は近代国家の名折れ   会社員 中村賢作(新潟県 56)

 死刑制度を存続させるべきだとする意見に納得できない。もし、死刑が被害者遺族を慰め、心情的な区切りをつけるために意義があるとするなら、故意・過失を問わず、人を死なせた者はすべて死刑にすべきだろう。

 愛する者を失った人の憤懣(ふんまん)やるかたない思いは、大量殺人の場合に限らない。オウム真理教元幹部7人の死刑執行と同じ日に判決が出た、千葉女児殺害の被告への判決はなぜ無期懲役なのか。遺族の望みはなぜ叶(かな)えられなかったのか。
大阪北部地震で倒壊したブロック塀の下敷きになった児童の親の無念は。過労死した若者の肉親に、責任ある企業の誰かが死をもって償ったという話も聞かない。自然災害や事故、病気。諦めきれない死はたくさんある。「無念に区切りをつける」ことができるのは大量殺人の被害者だけ、というのはおかしくないか。

 はっきりしている。死刑制度とは国家が国民に対し、「時と場合によっては執行する」という殺しのライセンスを握っていることを示威しているにすぎない。そんな暴力装置に与(くみ)することは、近代国家の名折れである。いい加減、我々は覚醒すべきでないのか。

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 勝手に前提を立てて論破したつもりで勝手に盛り上がる。アホの典型。