【産経抄】3月27日


 「石をぶつけられても」と覚悟を決められていたという。
皇太子ご夫妻時代の天皇、皇后両陛下が初めて沖縄を訪問されたのは、昭和50年7月である。
本土復帰からまだ3年しかたっていない。
皇室に対する複雑な感情が渦巻いていた。

▼南部戦跡にある慰霊碑「ひめゆりの塔」で、事件は起こった。
地下壕(ごう)にひそんでいた2人の過激派が投げつけたのは、火炎瓶である。
両陛下の足元からわずか2メートルのところで火柱が上がった。
避難された陛下の口から最初に出たのは、説明役の女性の安否を気遣う言葉だった。

▼何事もなかったかのように、その後も行啓を続けられた。
慰霊塔の前で深々と頭を下げ、遺族の話に耳を傾けられた。
30度を超す炎天の下、両陛下は噴き出る汗をぬぐおうともされなかった。
「昭和天皇のDNAたる『帝王学』の発露を見る思い」。警備担当者だった佐々淳行さんが著書に書き残している。

▼沖縄でのご経験が、その後長く続く戦没者の「慰霊の旅」の原点になったといえる。
〈花よおしやげゆん人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ肝に願て〉(花をささげましょう 人知れず亡くなっていった多くの人々の魂に対して 戦争のない世を心から願って)。
陛下が初訪問の後に作られた琉歌である。
沖縄の文化を理解しようと、独学されていた。

▼今回の沖縄訪問は、両陛下にとって11回目、在位中は最後となる。
初めて日本最西端の与那国島に上陸される。
2年前に陸上自衛隊の駐屯地と沿岸警備隊が創設された。
中国の海洋進出に備え、南西諸島の防衛力強化のためである。
自衛隊員の家族と島民との交流も深まっていると聞く。

▼何より現代の「防人(さきもり)」たちは、「戦ないらぬ世よ肝に願て」、日々任務に励んでいる。