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(続き)

自己責任の賛否を巡るネット上の応酬の中で脚光を浴びたのが、公開当時に
「アニメージュ」誌(徳間書店)に掲載された高畑監督のインタビュー記事
(88年5月号)だ。

監督は「心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせい」と語る。清太の
行動は現代的で、戦争時の抑圧的な集団主義の社会から「反時代的な行為」で自らを
解き放とうとしたと、観客が共感できると考えていたとうかがえる。一方で、
こう続ける。

「もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を
保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太に
なるどころか、(親戚のおばさんである)未亡人以上に清太を指弾することにはならない
でしょうか、ぼくはおそろしい気がします」

公開から30年、日本ではいたるところで自己責任論が起こり、時代を反映して映画の
見られ方も変わってきた。佐野さんは「戦時下の混乱のなか、自分が清太だったら
どんな判断ができるのか。そういう想像力の欠如が弱者へのバッシングにつながり、
全体主義をよみがえらせかねない。高畑監督はそこまで予見していたのでしょう」と
話す。

(終り)