4月4日(水)朝日新聞東京版朝刊文化面

後藤正文の朝からロック  「実現しない予言書」のはずが

数年前、出版社からの依頼で、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の文庫版に
掲載する文章を書いた。

権力の行いに追随するようにありとあらゆる文章を改ざんし、不都合な史実の存在
そのものを抹消する「真理省記録局」なる機関で働く主人公。彼が恋人と共に
じわじわと追い詰められていく様子は、思い出すだけで背筋が凍る。

小説には、実際に起こってはならないことを、先回りして書く力がある。そこに
書かれた悲劇を読むことで、人々は悪夢のような事象とは何かを知覚し、その到来を
避けようと考える。

僕は帯に「実現しない(あるいはさせない)予言書として、多くの人に読んで
いただきたい小説です」という文章を寄せた。

幸いにも、この国には組織的な公文書の改ざんを目的とする行政機関はない。

権力者と行政機関によって自由に公文書が改ざんされ、私的な表現まで制限するような
社会の到来は、国民の不断の努力によって拒み続けられてきた。

行政機関が当たり前に公文書を改ざんするような日が訪れたならば、僕たちは
「1984年」を読み直して、たった数行の改ざんの先にどのような社会が待ち受けて
いるのか、想像し直す必要があるだろう。

憤りもせず、疑いもせず、ささいな書き換えだと受け入れるならば、「真理省記録局」
の誕生は遠くない。

(ミュージシャン)