2月15日(木)朝日新聞東京版朝刊オピニオン面「ザ・コラム」

秋山訓子(編集委員)   野中氏 鋭さの裏に  限りない優しさのバトン

野中広務氏が92歳で亡くなった。
彼が権力の絶頂にあった頃、私も自民党を担当していた。こわもての実力者で、
震え上がりそうな鋭い視線を覚えている。
でも彼の顔は決してそれだけではなかった。どんな政治家だったか、よく引用される
話の一つとして、1997年の衆院本会議での発言がある。沖縄の駐留軍用地特別
措置法の改正の時のことだ。自身が62年に沖縄を初めて訪問したときのことを
引き合いに出した。乗ったタクシーの運転手がサトウキビ畑の前で止まって「妹が
そこで殺された」と泣き始めた。しかもやったのは米軍ではなかった、と。自分は
この出来事が忘れられない。国会の審議が大政翼賛会的にならないように――と続く。
私が書きたいのはここから先である。
当時、これを聞いて感動のあまり、矢も楯もたまらず野中事務所に走っていった
国会議員がいた。社民党の1年生議員だった中川智子氏だ。連立与党の一角だったとは
いえ、新米議員と自民党の大幹部。普通ならおいそれと口はきけないが、気にしないで
押しかけたのが「おばさんパワー」を掲げていた彼女らしいところだった。
ちょうど野中氏も自室にいて、中川氏の勢いに驚かれながらも会うことができた。
中川氏は手土産にと自室から持参した乾燥糸こんにゃくを渡すと言った。
「私は、今日の野中さんの発言に涙が出ました。あなたみたいな政治家に会えて
よかった。本当に素晴らしかった。私も沖縄には同じ思いです」
夜、中川氏が宿舎に帰ると郵便受けに野中氏からのメモが入っていた。「これから
困ったことがあったら、何でも相談しなさい」。携帯番号の番号があった。
その言葉通りに以降、彼女は困った時には何でも野中氏に相談するようになる。

  (続く)