2月6日(火)朝日新聞朝刊・天声人語

1953年に出版された『基地の子』という本がある。
当時は全国各地に米軍基地があり、
その近くにすむ子どもたちが書いた作文が集められた。
独立して間もない日本のあちこちに、理不尽な振るまいがあったことが伝わってくる。

横浜市の小学3年生は自転車を壊された体験を綴っている。
パン屋にとめていたら駐留軍のトラックにひっくり返された。
それでも母親は「しようがない」と言うばかりだった。
「アメリカ兵だから、もんくをいえば、しかられるんだから」

兵士に戸や塀を壊された話があり、女の人が叩かれるのを目撃した話がある。
千葉県の中学1年生はこう書いた。
「一日も早く駐留軍が、いなくなるように、どこかへお願いしたい気持ちです」

本土の米軍基地は縮小に向かい、見えなくなっていった。
代わりに負担がのしかかった先が沖縄である。
普天間飛行場をなくすため辺野古への移設を求められている名護市で市長選があった。

あきらめ。無力感……。そんな言葉が浮かぶ選挙だった。
これまでの選挙で反対の民意が示されたのに、
政府が埋め立てを止めることはなかった。
市民の声が本紙電子版にある。
「辺野古が止まる可能性があるなら(現職に)投票する。でも、無理でしょう」
移設を事実上容認する新顔が当選した。

名護市の歌人、佐藤モニカさんは詠む。
〈次々と仲間に鞄持たされて途方に暮るる生徒 沖縄〉。
沖縄にばかり鞄を押し付けているのは誰か。それで本当に仲間といえるのか。