1月22日(月)朝日新聞東京版夕刊4面・わたし第二章

森永卓郎(経済アナリスト) 「仕事は遊びだ」 Aピケティの四半世紀前に

専売公社の主計課で2年間働いた後、
私は日本経済研究センターに出向することになった。
日本経済新聞社の外郭で、数十社の企業から派遣された研究員が、
分担して経済予測をするシンクタンクだ。
1982年に着任した私のテーマは、賃金と所得配分。自分で選んだのではない。
割り当てられたのだ。

経済予測というのは、努力が報われない仕事だ。未来のことは、誰にも分らないから。
一生懸命分析して予測を出しても、思い付きで予測を出しても、当たるも八卦、
当たらぬも八卦の世界なのだ。
だから、各企業から派遣された研究員の働き方は、真っ二つに分かれた。
定時に帰宅するグループと終電まで帰らないグループだ。私は後者だった。

とにかく経済分析が楽しくて、楽しくてたまらなかった。
特に私を虜にしたのが「格差」だった。
「賃金センサス」という統計をみていて、私は大きな発見をした。
高度経済成長期には縮小していた格差が、低成長期に入ると拡大に転じていた。
それも、企業規模間の格差だけでなく、男女間、年齢間、産業間、職業間、地域間、
職階間など、あらゆる切り口でみた格差が低成長期に入って拡大していたのだ。
私は、格差社会の到来を確信した。

  (続く)