(>>115の続き)

今月中旬、工事車両が資材を搬入する米軍キャンプ・シュワブのゲート前には約70人が
集まっていた。「NO 辺野古新基地」などと書かれたプラカードを掲げ「工事を
止めよう」という声に拍手を送る。若者の姿はほとんどない。

山田親幸さん(83)は、先天性の弱視だった。沖縄戦のとき、山中にある谷底で家族
11人、3カ月間身を潜めた。戦後、18歳で視力を完全に失い、1966年、
沖縄盲学校の教員に。周囲には沖縄戦の迫撃砲で失明した人、栄養失調で失明した
教え子もいた。戦争は、深い傷を残す。身をもって感じた。

国連が国際障害者年と定めた81年、平和でなければ障害者福祉は実現できないという
考え方を知り、胸にすとんと落ちた。「普段負い目を感じている障害者ほど、国の力に
なりたいと戦争に協力的になってしまう。でも、その戦争で障害者がまた生まれる」

辺野古へは、座り込みが始まった2004年から通う。本島中部の自宅からタクシーと
バスを乗り継ぎ約60キロ。月に2回ほど、8時間近く座り込み、排除しようとする
警察ともみ合いが起きると、少し離れる。「妻は体を心配するけどさ。私こそ、戦争に
つながる基地に反対するべきだと思うから」

  (続く)