【産経抄】明智光秀の書状 9月13日


 筆まめだった夏目漱石は、生涯で2500余通もの手紙を残した。
古書店主でもあった作家の出久根達郎さんは、そのうち2通を仕入れたことがある。
ともに巻紙に墨の達筆、封筒つき、消印から人気の高い晩年の手とわかった。

▼ただひとつ問題があった。1通がお悔やみ状なのだ。
漱石終焉(しゅうえん)の地、早稲田界隈(かいわい)の葬儀屋さんをまわったが、まったく売れない。
漱石ファンだという葬儀屋の主人にセールスのアイデアを授けてもらうが…(『漱石を売る』)。

▼古書店では明治の文豪どころか、戦国大名の書状まで手に入る。
岐阜県美濃加茂市の男性が3年前に京都府内で購入したのは、明智光秀の書状だった。
市民ミュージアムに寄贈された書状は、三重大の藤田達生教授(日本史学)らによる調査で、光秀の自筆とわかった。

▼天正10(1582)年6月2日、光秀は京都・本能寺で織田信長を討った。
その10日後に、反信長派の豪族にあてて書かれたものだ。
信長に京都から追われた室町幕府の15代将軍、足利義昭を再び京都入りさせようと、協力を求める内容である。
光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか。信長への怨恨(えんこん)説など諸説あり、日本史最大の謎の一つとされてきた。
藤田教授によればこの書状は、光秀の目的が義昭を奉じての幕府再興だったことを裏付けている。

▼昨年は、放映中だったNHK大河ドラマの主人公、真田信繁(幸村)の書状が、やはり古書店で見つかり話題となった。
関ケ原で敗れ九度山に幽閉中の信繁が、義兄に老いを嘆いていた。
まだまだ、大物の手紙がどこかに潜んでいそうである。

▼もっとも、最近の日本人が書く手紙の量は激減している。
発見の楽しみを奪った未来の日本人には、申し訳がない。