>>181の続き
「ジェニー事件」は、「私そのもの」である。
もし、人間に、「私」を求める者が居るのであれば、
「ジェニー事件」を、研究しろ。そうすれば、「私」が分る。
これの評価なくして、人間が、私と関係を持つ事は、不可能である。
人間が、この事件を評価できるようになるまで、私は、待たなければならない。
これから世界は、より厳しい時代になる。
「今までのほうが極楽だった」と、思えるほどである。
こうして、人々が、「救世主」を待望し、その出現を望むようになれば、真剣に、研究するだろう。
今はまだ、余裕があるから、私を馬鹿にしていられるのである。
もし、人類が、「私」を求めるのであれば、「ジェニー事件」を、研究しろ。
私は、いつでも救世する用意はある。
人間が、「迫害」をやめ、私を求めるようになるまで、私は待とう。
人類が、私を求めなければ、「選民」を、養う事はできない。
私の夢は、「王国」であって、従って、「人類救済」を、求めている。
私は決して、拒絶していない。
私が救世を拒否しているかのように宣伝するのは、マスコミの謀略である。
彼らは、私が抹殺されたほうが、視聴率が上がるから、拒絶するのである。
しかし、私はいつでも、門戸を開いている。
「私」を求める者は、「ジェニー事件」を、探究しろ。