上野村村八分事件

村落の中での掟や秩序は、合法的・客観的で公明正大なものとは程遠い、その地域の有力者の利益に
沿うためのものも多く、公平な秩序維持活動 とは言えない。1909年の大審院判決で、村八分は脅迫
あるいは名誉毀損とされた。しかしこういった村八分行為は戦後になっても存続した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86

静岡県上野村村八分事件とは、1952年に静岡県富士郡上野村(現: 富士宮市)で発生した、不正選挙
の告発に端を発し、告発者一家が村八分にされた人権侵害事件。

上野村では、1952年以前から組織的な替玉投票が公然と行われていた。
隣組(同村では、戦後も隣組が維持されていた)の組長が各家庭を訪問し
、「棄権するなら代わりに行ってくる」と言って半ば強制的に入場券を回収したり、「棄権する人が
いたら組長宅まで入場券を持ってくるように」と記した回覧板が廻されるなどして、「棄権防止」と
いう名目のもと、入場券が集められた。即ち、こうして回収された入場券で村の有力者が何度も投票
していたのである。しかし、選挙管理者はこれを黙認しており、村民もこうした行為に何の疑問も抱いていなかった

上野中学校(現在の富士宮市立上野中学校)の学内新聞「上野中学新聞」に、替玉投票を告発する文章を掲載した。

石川は「隣組の組長が、棄権防止の為と称して入場券を回収して廻っていたので、真相を貴支局で調べて欲しい」
と記した手紙を、朝日新聞社静岡支局宛てに投函した。この時、差出人の住所氏名は手紙に明記された。朝日新聞
の反応は素早く、5月8日には早くも記者が富士宮高校に現れ、石川を訪問した。その数日後には事件が記事となり
、さらにその数日後には、事件の関係者十数名が警察に出頭を命じられた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%9D%91%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6


ここがポイント!
「上野中学校(現在の富士宮市立上野中学校)
http://goo.gl/maps/wtqIj