感動する泣ける話を聞かせて
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誰か俺に感動する話、泣ける話を聞かせて
いま無性に感動したいんだ あるよねー!マジ超あるよねー。
泣きたいときー、みたいな(笑)
泣きたいときー、みたいな…(泣) 俺22歳無職
中卒
学生時代はいじめだけ
高校のとき欝になって学校辞める
今友達一人もいない
・・・泣けたか? 私は実際なら、幼稚園児の母親をしてた。
でも、6ヶ月(人工中絶可能期間ギリギリ)の検診で、
胎児が重い病を持ってることを知った。
それも性別や胎動が分かった瞬間だった。
初めての妊娠で、希望してた男の子だった。
「どんな病気であれ、私が育てる!!!」なんて意気込んだけど、
奇形やダウン症や内臓や脊髄すら作れない子だった…。
完全に周りからも反対されて、医者からも「中絶してくれ。」って。
「何で虐待する親は産めて、私が産めないんだ。」なんて怨んだ。
結局泣く泣く、処置を受けることに決めた。
全部終わった後で医者に、
「こゆ障害を併発で持った子は、実際に流産や着床前に流れてしまう。
でも、この子はママと少しでも一緒に居たくて耐えたんだろう。
本当に強い男の子でしたね。」
それ言われた時、命の尊さとか生命力とか身に染みた。
こんな世間知らずな人間でも、母親として選んでくれたこと、
一緒に居たいと頑張って生きてくれたこと、
ママになる喜びを与えてくれたこと、
全てに感謝してる。
今でも私は、親孝行で強い最高な息子を身篭れたって誇りに思う。
少しでも、虐待や中絶が減りますように。 初のカキコ。駄文スマソm(_ _)m
行きたくない公立高校に進学。
チャラいのが多くて内向的な私は完全孤立。ぼっちライフスタートへ。
あまりにもぼっちが辛すぎて笑うことを忘れ、ほぼ毎日泣いている。教室では素を出せず、言いたいことも言えず、ポーカーフェース女に。
ほんと辛くて予備校泣いた。
もう私の頭には死の文字しかなくて…
私の通う予備校はパソコンを使う(すぐわかっちゃうか)
無意識に自分のポストイットに死にたい、助けてと書いてキーボードにはったよ。なんではったのか覚えてないけど、はりっぱで帰宅。
そして今日回収しようと前使った所のキーボードをのぞいたら
諦めるな!って書いてあった。
女ぼっちってまじ辛いのよ、だからほんと嬉しかった。その場で泣きました。
塾としては迷惑だったかもな。
去年の六月、被災地(岩手)で友人の結婚式があった
式場は公民館、衣装は取り寄せ、食事は細やかなもの
案内状を送ったはいいものの、ほとんど誰も来ないだろうと思ってたらしい
ところが、返信が来た
60人全員が翌日に返信、60人全員が出席
これが人と人との絆なんだろうなと思った
式の内容?泣いてばっかりで覚えてません
私の話、少し長くなりますが書きます。
私は昔から何事にも無関心で無愛想でした。
友達は多くても心から付き合ってる人も片手で数えるほど、恋愛なんて生まれてこの方2回ほどしかしていません。
しかし無愛想無関心じゃやっていけないご時世ですよ、嘘言ったり笑顔作ったり、そんなことばっかりしてたら苛められてしまって、小中と友達は本当に少なかったです。
そんな私にも中1から付き合い始めた彼氏がいました。好きじゃなかったけど告白されたから付き合った、そんな感じです。
そして、高校生のある日から。
私は苛めっ子のいない少し遠くの学校を選び平凡に通っていました。しかし、噂はよく届くもので、小さいころの噂が私の高校に流れてきました。
また私は悪夢のような苛めを受ける日々が始まりました。
しかし、ある日を境に少しずつ、本当に少しずつ私を苛める人は減っていき半年もすれば入学当初のような優しい笑顔を大体の人が向けてくれるようになりました。
理由もよく分からず、また普通の生活を送っていました。
その3日後くらいに、隣に住んでいる同じ高校に通う小さいころからの幼馴染が学校の階段から落ちて病院に運ばれたとお母さんから電話が来ました。
病院につくと、足を(名前が分からないけど)天井からぶら下げた紐のようなものに乗せて、顔には殴られたような痣があり、病弱な幼馴染にしては珍しいなと思いました。
本人は「また眩暈がして階段から足滑らしたんだー」なんて笑っていました。
結局幼馴染は1週間ほどで退院をしてすぐにいつものようになりました。
私はお母さんから「ジュン君は病弱だし、危ないから毎朝一緒に登校したら?」と言われました。
私には前で記したように彼氏がいて、駅まで一緒に行くってのが日課でした。
少しいやだなーと思い幼馴染に話に行きました。すると幼馴染は「彼氏と行きなよー」って笑って断りました。
少し困ったような顔をしていたので、コイツは私が嫌いなのかーなんて思ったぐらいでした。
続き
そんなある日私は彼氏に振られました。「お前以外に付き合ってる奴いるし、クールそうだと思って付き合ったらただの無愛想だし、つまんねーから別れる」と。
私は別に好きじゃないと自分で思っていたので「いいよ」と別れましたが、やっぱり好きだったんでしょうか、すごく涙が溢れ出して、その苛め以上に辛く感じられました。
その時声をかけてくれたのは幼馴染でした
「僕はずっとそばにいるよ、離さないよ、だから僕と付き合おう?ずっと好きだった」と
私は傷心していたのもあり、すぐにOKを出しました。
幼馴染は前の彼氏以上に私を大切に扱ってくれましたが、逆にそれが鬱陶しく感じて、別れようかよ思っていました。
そんなある日、一緒に登校して靴箱で幼馴染が紙を握り締めてため息をついていた光景を見ました。
私はただの興味本位で幼馴染が見ていない隙にポケットから紙を抜き出しました。
「まだ懲りてないんだね」「死ね」「リンカと付き合ったんだって?キモ(笑)」「また落とされたいのぉ?w」
私は紙に書かれた内容に目を疑いました。
続き
私は幼馴染に「これ何?」と問い詰めました。
すると幼馴染は緩く笑って
「だってリンカ危なっかしいんだもん、言ったじゃん、ずっと好きだったって、僕はずっとリンカだけを見てたよ?リンカは全然僕を見てくれないしさ、でも僕は守ることが出来たら良かったんだ、小中は体が弱くて何も出来なかったけど今なら守れるからさ。気にしないで?」
私は気づけていなかったんです、一番優しくて。大好きな。大切な。かけがえのない存在は近くにいたことを。
声を出して泣くと幼馴染は優しく頭を撫でてくれました。
これからは彼を大切にする、そう決めたばかりでした。
学校が終わったある日、幼馴染は「用事があるから先帰ってくれる?」と言い私だけを帰しました。
そこで私が帰らなければ彼はあんな風になる筈が無かったんです。
家でダラダラしているとお母さんがすごい形相で部屋に入ってきました。
彼が、あの私を苛めている女子たちに氷水をかけられ倒れたと。
彼は心臓が悪く走るのもだめで、無理して私の通学に付き合ってくれているレベルだったんです。
病院に駆け込むと彼は目を閉じて横たわっていて私は思わず「死んだの…?」と呟いてしまいました。
すると彼はゆっくり顔を上げていつもの様に優しく「勝手に殺さないでよ。」と笑いました。
そう笑っていたものの、彼は私との通学やその日の氷水などが原因で体を壊し学校を退学してずっと入院することになりました。
続き
私は学校で苛められるようになりました。そこで初めて知りました。
彼は「リンカは良い奴だから。悪いところだけじゃなく良いところも見て」と皆に言い回っていたそうです。
つまり私の高校での苛めが減ったのも彼のおかげ。
私は馬鹿でした、気づくの遅いし、ずっとそばにいてあげられないし、鬱陶しく感じたし、
私は朝と昼休みと夕方に毎日病院に通いました。
本当に大切なものは、そのときには気づかないかもしれない。
そして、その大切なものを自分が傷つけるかもしれない。
でも、後からすべては変えれるんです。
後から気づいても頑張って埋めれば良い、彼がそれを教えてくれました。
あれから8年経ちますが、今では彼そっくりの可愛い女の子と彼と三人で仲良く暮らしてます。
ちょっと風邪っぴきなので、「あなたに似たんじゃない?」と笑いあうのがすごく嬉しいです。
スレ違いかもしれませんが、私の話は以上です、ありがとうございました。
GS行って車の空気圧見てもらったら左前のタイヤが異常に低くて
チェックしてもらったら釘が刺さってた。泣ける。 一昨日、母親の方の母が亡くなった。私からしたら祖母になる。
10年間、病気を患っていたから悲しみよりも やっと楽になれたね という気持ちの大きかったので悲しみはあんまりなかった。
それよりも父親に会うのがめちゃくちゃイヤだった。 理由は同棲してたけど別れてから実家に帰らず姉夫婦のとこに居候してるから。。。。
実家に帰らなかったのはアル中で仕事もロクにしない父親に何かと理不尽な悪口を言われ鬱になった私を姉が引き取ったから。。。 昨日は寝てしまった。続きは、パソコンから・・・って見てる人いるのかな?
文章へたくそでごめんなさい。
久しぶりに会う父に緊張もしてたし、一人暮らし資金の為に毎日働きづめ、お通夜にお葬式で疲れてたから
知らない間にリビングで寝てしまいました。
姪っ子が「りえ(私)は??りえ寝んね??」と大声で話す声に目が覚めたけど体が重くてそのままでいたら
子どもが大嫌いで、姪っ子すら抱いたことも話しかけたことも無い父が
「ゆうちゃん、りえ疲れて寝んねやからシー!静かにね?」
と言いながら私にタオルケットを掛けてくれた。
涙が出そうになって寝返りをうったら頭のところには父が使ってるクッションもあった。
続き
帰りに玄関先まで送ってくれた父の靴をみるとボロボロのコンバース。
私が3年ほど前に誕生日にあげた黒のコンバースだった。
喪服のときは革靴だったから全然わからなかった。
帰ってから母に電話し
「誕生日にコンバースとアディダスの2足あげたけど、アディダスももう履きつぶしたん?」
って聞いたら
「アディダスは履かずにとっておくって言って、ずっとアレ履いてるねん」って。
今年の夏の父の誕生日にはサンダルとスニーカーをプレゼントしようと思う。
コンバースとアディダス2足もあげるなんて
何気にセレブだな 人の不幸で泣くんですね、気持ち悪い
他人の不幸がエンターテイメントで楽しんで涙まで流させてもらってあとついでにチンポでもしごくんですかね、気持ち悪い
きっと人間未満なんで人間になりたくて泣く練習とかするんですか。はやく人間になりたい、って 良い意味で心を動かされるのとは違うけど、
戦争の記録とか戦後の焼け跡の記録とか昭和記念館とかに行って
下手な戦争(政治)を指導した馬鹿どもの情けなさに涙してくるといいです。
ちゅうか、ちょっと前のドラマとかのはやりって、やたら人死ぬし。
愛の果てに。 >>12-15
泣けた
階段から突き落としたり、氷水掛けたりして入院させるなんて
犯罪じゃないの
よく耐えたね
今が幸せでよかった 泣ける映画教えて、みたいな感じ嫌。
泣ける映画って自分の最も下世話な部分を刺激されて反応しただけなわけで、
作品自体がすぐれてなくても一応反応しちゃうだけじゃない。
エロ画像みて反射的に勃っちゃうのとかわらない現象。
そんな部分他人に教えたくないし、
「ワタシこの映画でちょー泣いちゃった〜」みたいのも聞きたくない。
「拙者が毎晩シコシコ抜いてるAVはこれですわぁ、獣姦もに限りますわぁ、ブシシ」
みたいな戯言抜かしちゃってるのと同じレベルだと思うんス。 あたし中卒やからね仕事もらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字はとがりながらふるえている
ガキのくせにと頬を打たれ少年たちの瞳が年をとる
悔しさを握りしめたこぶしの中爪が突き刺さる
私、本当は目撃したんです昨日電車の駅、階段で
ころがり落ちた子供とつきとばした女のうす笑い
私、驚いてしまって助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました私の敵は私です
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
暗い水の流れに打たれながら魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけてそんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
勝つか負けるかそれはわからないそれでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめてあいつは海になりました
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ 薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ滲んだ文字東京ゆき
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
あたし男だったらよかったわ力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけあたし男に生まれればよかったわ
ああ小魚たちの群れきらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ファイト! ホワイトッ
焼いてる餃子たちを
焼いてない奴らが食べるだろ
ホワイトッ 泣きたいなら、老害の都政や給料泥棒達の国会中継とか見ればいい。
あれこそ悲劇だ。いや笑えない喜劇か。
それなら、
高い交通費払って入館料払って実写版シャザーンを見ればいい。
いろいろな意味で泣ける。 ホワイト餃子はシャブ入餃子
あんなマズイもの出してる店が流行るはずがない 名古屋はわりと古くからあるよ
ホワイト餃子で修行したと思われる
派系のお店で餡を美味しくアレンジした店とか
皮から全て作ってる店もあるし 泣けるかどうかはわからないけど・・・
僕の高校時代はとても悲惨でした。
と言っても友達はいたし、虐められてたわけでもない。
何が悲惨だったかというと、1年生の時に母親が兄と妹を連れて家を出て行ったんです。
僕と父を残して。
とても悲しくなりました。
なんで僕を置いて行ったんだ?と
僕は捨てられたんだ、と。
怒りがこみ上げてきて、母を兄を妹を憎みました。
父は何も言わず、ただただ仕事が忙しいと家に帰ってきませんでした。
そして僕の高校3年生の誕生日の日に一通の封筒が届きました。
封筒は母から僕に宛てられたものでした。
中には3つの誕生日カードと1つの手紙が入っていました。
誕生日カードは字を覚えた妹と兄、そして母のものでした。
誕生日カードは開くとオルゴールが鳴り出す仕組みだったのを覚えています。
妹は、「お誕生日おめでとう。お兄ちゃん。私は元気です!」
兄は、「誕生日おめでとう。元気にしているか?」
母は、「お誕生日おめでとう。体は大丈夫ですか?」
破りたくなった。何を今更。と思った。
しかし、一緒に入っていた手紙を見た瞬間、涙が溢れてきました。
手紙には、
「あなたも一緒に連れて行きたかった。でも、あなたが必死に勉強して入った高校を辞めさせる事は母親として出来なかった。本当にごめんね。こんな母親でごめんね。もしも願いが叶うなら、私が死ぬまでに一回だけでいいから、あなたに会いたいです。母より」
と書いてありました。
僕は中学生の時、母親に大学に行きたい。と言ったことを思い出しました。
母が僕が大学に行くには父の所にいたほうがいいと思って、僕をあえて連れて行かなかったんだと知ったんです。
母にはまだ会えていませんが。いつか会いに行きたいと思っています。
こないだ黄金のカリっと餃子食ったけど
餃子ばっかりでご飯は食えねーよ
病み付きになる味でもないし まじ?
実家に帰るお土産に買って帰ろうと思ったんだけど、どうしよう、、、、
一回俺が食いに行けばいいんだろうけど >>9
おまえこれから一生いいときもわるいときも
その書き込みを思い出せよw
なにが忍法帳だ クズ 本人の許可なく書く実話なので、まとめサイトへの転載厳禁
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数年前、近所で葬式があった。
年寄りが死んだかと思っていたら、故人は30代の娘だという。
その家には確かに娘がいた。
彼女は地元の高校を出て、東京の短大に進学。卒業後そのまま東京で就職した。
好きな人ができて結婚し、しばらくして身籠った。
ところが、出産を間近に控えたある日、突如として、脳卒中で倒れた。
子供は死産。本人も植物状態になった。
夫婦は2人暮らしだったので、24時間介護はできない。妻は実家に引き取られた。
それから夫は休みになると新幹線で妻のもとに通い介護を手伝った。
離婚はしなかった。
数年後、妻は短期間だが意識がもどった。
ほどなくしてまた意識がなくなり、数年後、彼女は逝った。
足かけ10数年の介護だった。
葬儀は父と夫の連名で出された。
訪れる人は多くなかったが、地域の人たちが見守るいい葬儀だった。 >>17
1週間の停学と、お見舞いだったらしいです
>>33
ありがとうございます。とても、幸せです。 長文失礼。
昨年秋 入院してた祖父がいきなり一度うちに帰らせてくれ。と病院に頼み込んだ。
一時帰宅の日、私は頭痛がひどく、祖父に
ごめんね。というと いいからゆっくり寝なさい。と言われた。
目が覚めると、祖父はもう病院に戻っており一緒にご飯を食べれなかった。
まぁ次あるし、いっか。
数日後学校でおい おじいさんが・・・。先生の心配そうな声。
学校は早退し、祖父のもとへ
じいちゃん わたしだよ。ねぇ起きて。お見舞いきたんだよ。
いつもみたいにお茶のもうよ。いつもみたいなあいづちでいいから話そうよ。
一時帰宅のあの日が最後の会話だった。
私は大きく後悔した。涙が止まらなかった。
祖父が亡くなった秋。
私は、そんな秋にある主張文発表会で
明日がある。次がある。などの無責任な言葉について。を、発表しようと思う。
私の後悔と同じものを誰かに感じてほしくないから。
親戚が飲みまくってはしゃいでた通夜の時の
祖父の顔は心なしか笑っているように見えた。はしゃぐの好きだったからな。 じゃあ今年あった話書こうか?内容としては病死だな
長いから聴きたいかどうか聞く。聞きたいか? これはカーチャンから聞いた話なんだけどな
うちのトーチャンの小さい頃はドのつく貧乏だったらしい
じいちゃん(トーチャンのトーチャンにあたる人)も怒りっぽいやつで些細なことですぐ怒られたらしい。
風呂はじいちゃんが入る時のために垢を全て落としておくこと。
箸の持ち方がおかしかったり、いただきますやごちそうさまを言わなかったらメシ抜き。
他にも色々聞いたが忘れたがこれを守らなかったらぶん殴られたらしい。
それは子供だけでなくばあちゃん(トーチャンのカーチャン)にも同じだった。
それでも・・・どんなにどん底でもばあちゃんは皆を養うため必死で働いた。
そんな時のトーチャンの学校の遠足の時。
ばあちゃんが必死で働いて貯めた金で当時皆がきていたPUMAのTシャツを買ってもらって、遠足に着て行ったらしい。
普通、プーマの手って手招きしてるような感じになってんじゃん(説明下手ですまぬ)
あれがトーチャンのTシャツのプーマは完全に手が伸びていて、PUMAじゃなくてPYUMAと書いてあったらしい。
それを友達に馬鹿にされたのが腹たってそいつらに自転車ぶつけて帰ったらしい。
俺がそんなの信じられなくて「嘘やろ?なぁ嘘やろ?www」とふざけて聞いてたんだけど
「そんならトーチャンの弟に聞いてみ。ホントやで」
トーチャン・・・ 初めて2ちゃんにカキコ。
変な所あったら失礼。
私の従兄弟の話。
従兄弟が幼稚園年中くらいのころ、お母さん(私からみれば叔母)に赤ちゃんができた。
従兄弟は兄妹欲しいって言ってたから、大喜びだったらしい。
お母さんの方も、嬉しそうに私の母や母(私から見た祖母)に連絡したんだ。
しかし、赤ちゃんは流産。
お腹の中で死んで、手術で摘出したらしい。
お母さんはすごく悲しんだ。
そんな中、従兄弟は「○○くん(当時幼稚園で事故死してしまった男の子)と同じ所にいったんだね…。」
と言って、悲しげな表情をしていた。
幼稚園児に言われて、お母さんは泣き崩れた。
その1年後くらい。
お母さんのお腹には赤ちゃんがまたできた。
お母さんは喜び、再び連絡。
さらにその後の検査で分かった事だが、なんと双子だった。
従兄弟は「死んだ赤ちゃんが、またお母さんから生まれたくて、戻ってきたんだよ!!」
と言っていた。
私は母からその話を聞いて、不覚にも泣いてしまった。
さらに、その赤ちゃんはもう一人いて、なんと三つ子だった!
親戚中大喜び。
そんなイイ子が、今は私の胸を揉みたがるクソガキになったなんて信じられない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています