大滝詠一は1983年にこんな事を言っていた
「昔はフランク・シナトラを尊敬してフランク永井、ペギー・リーのようになりたくてペギー葉山。
今は森田健作に憧れて桜田淳子、ジュリーが好きでスクールメイツに入った大田裕美、西城秀樹の妹分で河合奈保子・・・これじゃ、音楽の裾野があまりにも狭過ぎるんだよね」と否定的なニュアンスでの発言だった。
(音楽史の「分子分母論」でググると詳しくでてきます)

これがまさにお笑い界でも起きてる。
赤塚や手塚治虫の時代は、漫画描くなら漫画読まず映画観ろ、と言われていた通り、
ダウンタウンとんねるずあたりは、大御所を倒すことを目標とし、(テレビをネタにはするものの)笑いの影響が芸人ではなく、テレビに1つの文化を持ち込もうとした最後の世代であり、
直系の師匠がいないこと、安定するまで上の芸人と共演しないことで自分らの山を築くスタイルだった。(SMAPもこれを再現していた)

しかしダウンタウン以降はNSCの後輩なので、どうしても対等な立場になれないため小物にならざるを得ない
吉本の中でもNSCではないロンブーはまだ別格感があるが
ナイナイ、オリラジとどんどん下がっていってしまう。実際芸風に差がない。
他の事務所は吉本に比べ縦社会を出さないイメージだが、竜兵会のようにくくられたり、出が同じだと売り方が同じなので出てきた時のインパクトに欠ける事、アメトーーク!なんかに出た日には先輩に押されるし安売り感がハンパない。

いきものがかり水野は洋楽を聴いておらず、ルーツはJポップであった。
岡村隆史は影響がとんねるずと志村けんで、笑いにおいての大滝のいう分子分母論を変えた最初の人物といえるかも。
それから岡村隆史を尊敬する渡辺直美、矢部浩之を尊敬するパンサー向井と、それも躊躇なく堂々と発言してしまう時代。そしてそいつらに憧れる奴が芸人を目指す…
これでは新しい文化は生まれない