中野剛志が適菜とコロナ禍の日本論壇について対談しているが、
その一説がまさに今の道場を現していて
膝を打つと同時にゾッとしたわ。文学とかの
雑学も織り交ぜてあるが、論壇状況への俯瞰図は
とても参考になる。

「議論の勝敗だけにこだわる知識人ごっこの末路」
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/971993/4/


>>だから平和ボケなのは、彼らなんですよ。山梨県の上九一色村にオウム真理教が入ってきたときに、地元の住民は反対したんです。そしたら「オウムにも自由がある」みたいなことを言い出す「知識人」が出てきた。「オウム信者の人権はどうなってるんだ?」とか。吉本隆明が「宗教の倫理と世俗の倫理は違う」とか当たり前のことを言い出して、吉本の信者もオウムの信者もありがたがってその御託宣を聞いているわけです。常識をからかうというか、相対化するというか、軽視する浮ついた時代だったんですね。その後、オウム事件の検証みたいなのもありましたが、今回の新型コロナ騒動を見る限り、なにも反省していなかったんだなと感じます。オウムと同じように被害妄想と陰謀論に辿り着き、狭いコミュニティーの中でカルト化していった集団もありました。頭はそれなりにいいが孤独な人がカルトにはまりやすい。カルトの内部では世の中を整合的に説明してくれるし、自分と似たような考えを持つ人が周辺に集まってきます。そこではじめて自分を認めてくれる人たちに出会い、居場所を見つけたような気分になる。居心地がいいから、外部の世界と乖離していても気づかない。

>>一方、途中で気づいたまともな人たちは、そのコミュニティーから離れていきます。こうなると、教祖の周辺はイエスマンばかりになるので、おだてられてますます暴走していく。オウム真理教の信者たちは目の前にある現実を無視し、何が起こっても、「尊師は悪くない」「尊師はむしろ被害者だ」の一点張りでした。そして批判されればされるほど、外部の声を聞かず頑なになっていく。自分たちは正しいことを言っているのに、それを理解できないバカがいると思い込むわけです。