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徳川義親に関しては、いろいろな分析があるようだが、共産主義扇動の支柱である川上肇と懇意にしてたり、3月事件や10月事件を起こす
橋本欣五郎や大川周明などの右翼革命家とも懇意だったりした。こう考えると世が世なら尾張藩主だった徳川義親は、薩長が作った政権が
許せなかったのかもしれない。不思議なのは、有馬ヨリヤスや西園寺公一や近衛文麿(父も含め)もそうだが、華族と言われる人達が戦前、
過激思想に走る傾向があったようだ。橋本と徳川と大川は、ボルシェビキ革命を親しくなり語り合ったそうだが、
橋本と大川は、「一君万民」でのボルシェビキ革命を主張したが、徳川は、その話になるとソッポを向いたということを何かで読んだ。
この殿様にとっては天皇家も敵という根っからの「佐幕」らしかった。三月事件だが、橋本が懇意にしている労農党(大山郁夫)社会民衆党(赤松克麿)
全国大衆党などの労農三派に街頭デモをやらせ、橋本の息がかかった軍人に決起させ(橋本は、元軍人)昭和天皇を廃し、皇族の誰かを傀儡君主にした
政権をうちたてるとしたものだ。徳川義親が資金を用意したが、確実な情報ではないが、ソ連から河上肇経由で渡ったものと言われている。
永田鉄山や石原莞爾などの陸軍統制派も関与していたことは、川田稔氏の著書など読めば明らかだ。5・15事件、2・26事件、三月事件、十月事件、満州事変の流れには
あるリンクした流れのものがある。これを解明してくれる学者を個人的に待望している。
三月事件だが、永田の気が変わり(理由は分からない)とりやめになった。