豊臣秀吉は、晩年にその聡い性格を変質させてしまったが、それまでは、「人たらし」と呼ばれていたらしい。
人を、たらし込むのが上手かったそうだ。世間の目を意識して見せしめのように力を見せつけて落としたのは、小田原の北条氏位だろう。
殆どが、調略(外交)で、敵を味方に付けていった。 ゴジラを調教できるのは、こういう人でなきゃダメなはずだ。
天下人は、権威で人の気持ちをコントロールしようとする。自分は、権威と呼べるようなものはないと自覚できる者は、
相手の心に入って、相手の願望の利益を導き出し、出来る限り答えようと努力することで、相手の信用を得る。
もし豊臣秀吉が、ボランティアにプロフェッショナルの自覚を促すなどしたら、天下人には、なれなかったはずだ。