では、何が違うのか?
それは言うまでも無く、『制約』の存在を明言した事にある
前述した、元来より兼ね備えていた『天皇』という存在の象徴性は、
端的に言えば国の東西や古今を問わず、ある程度の権力者なら誰もが持ち得るものだ
今風に言い直せば『カリスマ性』という表現に近いと言ってもいいだろう
だが、それは天皇が持っている権力・権限・発言力・影響力等のような、
現実として世の中に干渉出来る力とは別次元の話としての、観念的な意味でしかない
ところが憲法を制定し、明文化した事によって、それらの概念は一気に具象化してしまった

帝国憲法では『天皇の大権』について規定しながらも、議会の助言を必要とするよう足枷を付け、
現憲法では明確に天皇に政治的権能は無く、決められた公務のみを行うよう定めている

要するに維新以後の日本は成文憲法を制定し明文化する事によって、
それ以前までは観念的なモノであった天皇の象徴性や権限等含めた伝統も全て、
具象的で尚且つ限定的なモノへと変質させ、それを『近代化』或いは『民主化』と称したのである

余談だが古代ケルト人は経典や秘儀等を文字にして表すのは不浄な事として忌み嫌ったと言う
日本人も漢字が持ち込まれる前は特定の文字を持たず、漢字の導入にも長い年月を掛けた
文字の使用を嫌った先人達の想いが成文法にどう繋がるかは各自の判断に任せるが、
伝統を重んじる保守思想の人間にして見れば、含蓄のある話にも映る、と思う